自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎
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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(5)
誠にめでたく、神戸港より新造船「ぶらじる丸」一万五〇〇総トンの移民船は、昭和三十一年(一九五六年)十二月二日、海外移民(移住者)を乗せて神戸港から横浜港へ。ここで東日本移民組が合流。総勢一五〇〇、六
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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(4)
ある早春の昼下がり。春雨に桜の花も散り、緑の若葉が清々しいある日のことであった。父と母は田んぼ、祖父母は桑畑に蚕の餌である桑の葉を採りに出かけて皆留守である。 表に自転車の音がした。郵便屋さんの様で
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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(3)
その頃、進駐軍の車は皆な「ガソリン車」で有った様だ。太郎の田舎の車は、いや、日本全国では木炭車が殆どの時代だった。将来は日本も「ガソリン車の時代」が早急に来ると信じられて居たのである。大阪に行くと言
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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(2)
母親がめずらしく涙しながら大きくなったお腹を撫でながら、諭していたあの言葉は、太郎が生涯忘れられない「母の言葉」と成りました。「上の二人の兄ちゃんは、もう兵隊にゃいかんで良かけん、外で働いて貰う。太
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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(1)
第1章 「若人海を渡る」 一九四五年八月十五日、天皇陛下の玉音放送、「耐え難きを耐え」「忍び難きを忍び」との鶴の一声をもって、大東亜戦争が終戦とあいなりました。その日こそ、真実、国民