読者寄稿
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カルドーゾ大統領の功罪=パラナグァ 増田二郎
私はこのブラジルに、呼び寄せ移民として1953年に渡伯いたしました。来た当時は漠然と、祖父たちの仕事と同じように農業で身を立てて行くのだと思っていましたが、こちらの食べ物のあまりにもの油っこさに、腎
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戦後70年と言うけれど=イタペチニンガ 佐瀬妙子
1945年7月も終わりに近い朝、私は母と裏庭にコンロを出して非常食用の大豆か米を炒っていた。その時、裏の木戸が開いて誰かが入って来た。振り返ると兄だった。兄は中学4年の時、海軍甲種予科練習生として入
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衣服と朝のひと時=イビウーナ 瀬尾正弘
私の起床は毎朝5時である。床から出ると先ず窓を開け、今日の天気はどうか空一面を見て雲の様子など眺める。まだ少し暗いが…。冬場は外温が何度あるか確認して、作業着の上、下着など決めて着服する。天候に異変
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目良浩一氏の講演を聞いて=サンパウロ 駒形秀雄
『太平洋戦争は米国が仕掛けたものだ』というご自分の説を立証されるため、良くこれだけの資料を、しかも旧敵国の米国で集められたものだと、大いに感心致しました。 更にこれを一般にも知らせようとする先生の熱
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日本語教育=カンピーナス 鈴木マリア恵美子
8月26日(水)付のニッケイ新聞「オーリャ!」を興味深く読ませていただきました。「ブラジル人の友人と日本語・葡語の交換授業…互いの母語を教えあう…」とありましたが、「母語は話せても教えられない」とい
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復員記=サンパウロ 建林成幸
復員とは、戦争が終わり兵士が故国に引き揚げることをいう。 今年、日本は戦後70年を迎えた。70年も経てば、人はみな高齢に達し、生き残った人は僅かで、戦争を知らない世代の時代となった。 私は大正15年
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想い出を暖めて「心の旅」=クリチーバ 田口さくお
私は老童卓球部の仲間である友人から、今NHKで『心の旅』という番組をやっていて、なかなか面白いからと教えられました。私は特別な番組がない限りあまりNHKは見ないので、知らなかったのです。 ある時、
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被爆70周年=サン・ローレンソ・ダ・セーラ 丹生登
私の郷里は長崎の爆心地から40キロメートル程の距離です。直接被災はしなかったのですが、私達の町に2~3日目と被爆した人達が何十人何百人と汽車から降りてきていました。医院まで100メートル程の道を歩く
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一世一代の河原乞食=サンパウロ 加藤俊二
江戸時代、京の市中を流れる鴨川の四条河原で歌舞伎が上演され、観客で賑った。この興行現場を見くだして役者を「河原乞食」と揶揄した。次に記す河原乞食は、天下の大道で一世一代の迫真の演技を披露。篤とご堪能
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大切なもの=小野寺郁子
バスに乗ると、前の方に赤ちゃんを抱いた人の隣りに一つ空席があったので、そこに座った。 若い母親に抱かれた赤ちゃんは、お誕生少し前ぐらいに見える女の子で、可愛い目をクリクリさせながら、あちら、こちらを