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特別寄稿

国民審査の在外投票ができないのは違憲=CIATE専務理事弁護士 永井康之

 2017年10月13日に在サンパウロ日本国総領事館で第48回衆議院総選挙の在外投票を行った。その際に最高裁判所裁判官国民審査の投票を行うことができないことに気付き、これは憲法に違反しているのではないかと思った。  このことをSNSに書き込んだところ、当時アメリカ合衆国で暮らしていた谷口太規弁護士から、自分も同じように思ったと反 ...

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どうなってるの? ブラジル政治=半年過ぎたボルソナロ政権=サンパウロ市在住 駒形 秀雄

 上を見上げれば、今日も抜けるような青い空。気温は快適。さて一仕事しようか、という様な良い陽気です。  それで何か面白い話しでもないかと街に出てみますが、良い話はどこへ行ったのか、さっぱり聞こえて来ない。  「腕が痛くて上げられなくなった」「こっちは金欠で首が回らないよ」と昔の勇士達が冴えない顔で話しています。  これもそれも、 ...

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ヴァザジャットで混乱する中南米=オデブレヒト問題は奇々怪々化=ルーラ投獄はでっちあげなのか=パラグァイ在住 坂本邦雄

19日に上院憲政委員会で、ヴァザジャット疑惑に関して弁明するモロ法務大臣(Pedro Franca/Agencia Senado)

 世紀のオデブレヒト汚職事件の摘発や取締に関わる「LJ・ラヴァジャット作戦」は、今になってブラジル人は単に悪徳の無駄な処置だったと主張し、我々多くの中南米人をして、何がなんだか全く訳が解らなくさせている。  その曰くは、当時スーパースターの名声を振るった、セルジオ・モロ判事により、ルーラ・ダシルヴァ元大統領の再選の道を阻止すべく ...

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島から大陸をめざして=在米 村松義夫(JAC日米農業コンサルタント)=最終号

頑張れ日本農業、農業後継者諸君(本人提供)

 「北米農業視察事業」は911テロ事件から、翌年の9月までの1年間の視察依頼予約の総てがキャンセルとなった。だが全員、半年間継続して仕事に専念してもらった。  その後も視察依頼の保証が得られず、本社と東京支社に数名残して翌年の9月まで続けたが、一向に将来の見通しが立たず、2003年に総ての資産を売却し、銀行からの融資の総てを返済 ...

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島から大陸をめざして=在米 村松義夫(JAC日米農業コンサルタント)=第9号

静岡県のカリフォルニア州農業視察(本人提供)

 静岡県内からも多くの視察団を受け入れた。伊豆の苺生産者組織は、サリーナスやワトソンビル産地の苺生産地から出荷までの視察や大学試験場の品種改良等の視察。静岡のメロン組合は、現地路地メロン生産状況視察。静岡清水地区のJA役員による現地農業団体訪問と柑橘視察では、バイセリアで米国農務大臣とバッタリ面会することができ、日本の農業の立場 ...

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島から大陸をめざして=在米 村松義夫(JAC日米農業コンサルタント)=第8号

静岡県掛川市長、大日本報徳舎の舎長だった榛村純一さん(村松さん提供)

 静岡県掛川市の榛村純一市長は、7期在任中に大きなプロジェクトをつぎづぎに成し遂げられた。生涯学習都市宣言、生涯学習センター開校、新幹線掛川駅開駅、山之内一豊の掛川城建設、東名インター開設、市役所の新築、駅前商店街の改築、緑茶産地センター開設、逆川の改修工事、エコポリス工業団地開設、ごみ焼却設備と周辺公園新設、静岡富士山空港開設 ...

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島から大陸をめざして=在米 村松義夫(JAC日米農業コンサルタント)=第7号

K―ECO、オレゴン生涯学習村(本人提供)

 1985年、静岡県掛川市に家族の法要で帰郷した折、当時の市長榛村純一氏(故人)と面会した。掛川市は二宮尊徳によって「報徳舎」が開校され、その精神が現在もしっかりと受け継がれており、報徳精神を柱としての町作りが行われてきた。  市長はこの精神を受けて「生涯学習」を提唱し、教育都市として全国に生涯学習制度を広めていった。同時に地方 ...

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島から大陸をめざして=在米 村松義夫(JAC日米農業コンサルタント)=第6号

「農業は農業企業成り」を示す大規模な農地(本人提供)

 「米国農業視察」事業は順調に継続し、全国のJA(農協)組織、日園連組織、全酪連・養豚・養鶏組合、専業農家組織、都道府県の農業関連部署、試験場、農地委員会、農水省や農水議員等から幅広い人々の農業視察を受け入れた。  中でも農畜産物、食品の流通のA―COOPを始め、業界大手流通組織からの店舗視察も受け入れ、現地の有料店舗視察や、大 ...

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島から大陸をめざして=在米 村松義夫(JAC日米農業コンサルタント)=第5号

大規模肉牛肥育場(本人提供)

 実習生事業で全米を走り回っている中で1974年「オイルショック」が起こった、此の頃から日米間では大きな経済摩擦が始まった、製能と燃費の良い小型自動車、格安な鉄鋼や繊維、製能の優れた電化製品、PC用チップ等が日本から大量に輸入され始め、これ等の日本製品は米国社会広範囲に受け入れられていった。それは五大湖を中心とした自動車産業を始 ...

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島から大陸をめざして=在米 村松義夫(JAC日米農業コンサルタント)=第4号

カリフォルニア州米作農家(村松さん提供)

 派米農業実習生事業は、全国からの農業及び関連組織勤務の実習生が主体で、僅かな学生枠があった。この枠には将来、世界各地へ農業移住や農業指導で羽ばたく学生のために、大農と経営農業を米国から学び、同時に古来から日本の誇る小面積から多量で質の良い農畜産物の生産技術を併合することで、さらなる相乗効果をもたらすとの考えであった。  またこ ...

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