特別寄稿
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羅府新報=アメリカ本土日本移民入植150周年=夢と希望胸にカリフォルニアへ=(6)
アメリカ本土で生まれた最初の日本人の末裔か 先祖に浮かび上がった大藤松五郎 東京在住の白石菜織さん(19)は中学3年生だった2014年、夏休みの自由研究の課題で自身の先祖をたどっていた。祖母の白石恭
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羅府新報=アメリカ本土日本移民入植150周年=夢と希望胸にカリフォルニアへ=(5)
侍だった桜井松之助 2017年に墓発見 おけいが亡くなった1871年までに若松コロニーがあったゴールド・ヒルには桜井松之助と増水国之助の2人が残った。 会津藩士だった桜井は34年(推定)に生まれ、
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羅府新報=アメリカ本土日本移民入植150周年=夢と希望胸にカリフォルニアへ=(4)
おけいの墓知れ渡る 日系社会で一大旋風 若くしてアメリカに渡り、19歳という若さでこの世を去ったおけい。その墓は死後、長く知られることはなかった。墓を尋ねる人も、花を手向ける人もなく、1人寂しくカリ
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羅府新報=アメリカ本土日本移民入植150周年=夢と希望胸にカリフォルニアへ=(3)
わずか2年で崩壊 茶と桑の木は枯れ全滅 しかし順風満帆な日々はそう長くは続かなかった。その後、若松コロニーをめぐる状況は一変する。 当時カリフォルニアはゴールドラッシュ全盛期。若松コロニーがあ
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羅府新報=アメリカ本土日本移民入植150周年=夢と希望胸にカリフォルニアへ=(2)
日本人一行は「自由人」 威厳に満ち、地元紙も歓迎 こうして移民団の先発隊がサンフランシスコ港に到着したのは1869年(明治2年)5月20日。その模様は、同年5月27日付の当時のサンフランシスコの地元
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羅府新報=アメリカ本土日本移民入植150周年=夢と希望胸にカリフォルニアへ=(1)
昨年はハワイへの日本移民150周年だったが、今年はアメリカ本土への150周年だ。ロサンゼルスで1903年から発行し続けている現存する世界最古の邦字紙「羅府新報」では、それを記念した特集記事(http
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ブラジルは誰にでも有望な投資先か=進出日本企業に体質改善を提言=サンパウロ市在住 西銘光男=(下)
<5> 租税関係 企業誘致のため、各州政府は競って免税措置を提示する。そのため税収入が伸びず四苦八苦している州も多い。これは進出企業にとってプラス要因ではあるが、ブラジルの税政自体が怪物
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ブラジルは誰にでも有望な投資先か=進出日本企業に体質改善を提言=サンパウロ市在住 西銘光男=(中)
<3> 安い人件費 ★雇用と労働訴訟 ブラジルにおける終身雇用の制度は公務員だけである。民間は、居心地が悪い、または少しでも給料の高いところがあれば、簡単に解約して転職できるシステムであ
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ブラジルは誰にでも有望な投資先か=進出日本企業に体質改善を提言=サンパウロ市在住 西銘光男=(上)
ブラジル向けの日本企業は、移民の歴史と共に歩んできた。移民当初は政府委嘱の拓殖会社が植民地を設置、インフラ整備、農地の分譲、指導等を施してきた。移民の経済的安定に伴って金融、加工分野に進展し、加工業
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稀代の「至高の総統」振り返る=「東方の三博士の日」1月6日に=パラグァイ在住 坂本邦雄
カトリック教国のパラグァイでは、クリスマスのプレゼントを、親しい者同士の間で交換するのに加えて、新年の1月6日は、各家庭で「東方の三博士」の贈物を待ち侘びた、幼い子供達の歓喜の声で朝が明けるのが、微