ニッケイ新聞 2013年1月10日付け ある企業家が「いやあようやくね…」と清清しいで表情で話し出した。日本から来た人が1千万円を福祉団体に。それを見たのをきっかけに自身も「何か社会のために」と毎年続けてきた寄付が今年20年目を迎えるのだという。経営的に厳しいときもあったろうが、踏ん張ってきた自負がにじみ出ていた▼金額の多寡を ...
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ニッケイ新聞 2013年1月9日付け 世界の終わりがマヤ暦で預言された12月21日の次の日、日本の100円ショップ1号店(Rua Direita, 247 メトロ・セ駅から徒歩5分)が開店した。その日の朝10時に行ったら100メートルも列が出来ていた▼近くのショッピングで時間をつぶし、午後1時頃に再び戻ると、雨降りにも関わらず ...
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ニッケイ新聞 2013年1月8日付け 5日付ロイターの記事に、日銀の総裁が米国で4日、「ブラジルや中国などの新興諸国で悪性の資産バブルが発生しつつある可能性に懸念を示した」との文があった。不学故に何を基準に悪性と呼ぶか判断しかねるが、7日付エスタード紙は昨年末までに未払いの連邦政府の経費は過去最高の2千億レアルに到達との報道も ...
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ニッケイ新聞 2013年1月5日付け 年末の休暇のため安倍内閣の発足を報道できなかったが、首相の安倍晋三氏は憲法改正や集団的自衛権を認めるなどの保守派であり、原発についても民主党とは異なり、安全性などを確認した上での新設にも意欲を燃やしている。兎に角—この安倍内閣はワンマン宰相の吉田茂氏に次ぎ2回目の政権であり、戦後の政界では ...
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ニッケイ新聞 2013年1月4日付け 6面に掲載中の『暁に向かって』(伊那宏著)に関して様々な反応があり、OB筋からは「パ紙が円売りに関係していたような話を載せるなど愛社精神が薄い」とのお叱りも受けた。新聞社は単なる民間企業だが「紙面は公器であるべき」と編集部では考えている。「新聞社関係だから、この件は永遠に闇に葬られるだろう ...
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ニッケイ新聞 2013年1月3日付け 昨年末に亡くなった遠山景孝さんは本紙の前身パウリスタ新聞のOBだった。百周年委員会の広報担当をされていたこともあり、会合などでよく顔を合わせた。子供のような年のコロニア新参者である記者に対し、いつも丁寧で誠実な対応をされた紳士だった▼新聞社を出られてからも、ブラジル政府などと組んだ広報活動 ...
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ニッケイ新聞 2012年12月22日付け 極月に入ると歳晩の空気が一挙に濃くなり、いきなり忙しくなってくる。和尚さんも檀家回りなどで御用繁多となり、ここから—師走の呼び方が生まれたのだそうな。奥深い雪山で難行苦行のお釈迦さまが、8日の暁闇に悟りをひらいたとされ、これを臘八会とし、禅宗では—この釈迦成道を大切にし1日から8日まで ...
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ニッケイ新聞 2012年12月21日付け スザノの福博短歌会では9月に歌集『深泉』400回記念号を発行した。宮崎県を代表する民謡「ひえつき節」の補作者・酒井繁一(1901—84、宮崎県)が指導し発足した伝統ある歌会だ▼酒井さんは戦前移民で50年代に5冊も東京で著書を出版したインテリだったが、土地売詐欺に巻き込まれるなど不運な一 ...
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ニッケイ新聞 2012年12月20日付け 本紙の年内発行最後となる22日付けは毎年恒例「コロニア10大ニュース」が紙面を飾るわけだが、1年分の記事を見返してみても、インパクトに欠けたと言っていい2012年。御三家(もう誰も呼んでないかも…)の存在感も感じなかった。今年に限ったことではないが▼御三家からはずしてもいいのではないか ...
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ニッケイ新聞 2012年12月19日付け クラブ世界一決定戦で横浜競技場が「パカエンブー」になった日、自民党が総選挙で大勝した▼試合終了直後、優勝したコリンチャンス(チモン)のキャプテンのアレサンドロは「08年に移籍してきたときセリエBだったチームが、世界一になる日が来るとは思わなかった」とコメントした。同クラブは当初、ロナウ ...
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