ニッケイ新聞 2011年8月30日付け 政党の代表選びというのは難しい。自民党総裁選は激しい闘いであり、札束が乱れ飛び3陣営から取ったの「サントリー」が流行語になり、カネが切り札が政界の常識になったり、世論の批判も強かった。そんな暗い世界に明るい光明を投じたのが、鳩山一郎首相の退陣を受けた1956年12月の石橋〜岸の総裁争いだ ...
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コラム 樹海
ニッケイ新聞 2011年8月27日付け 「権腐十年」。いかに優れた政治家でも、権力の座につくと10年もすれば、政権に腐敗が起こるの意味だが、これは東西に共通する。この国でもまだPT(労働者党)が野党だった頃、連邦下議の具志堅ルイス氏は、若きコーロル大統領の不正献金を追求し、辞任に追い込み、政界の論客の評を高くした。が、ルーラ氏 ...
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ニッケイ新聞 2011年8月26日付け なぜ百年祭では一般社会からあんなに盛大に祝われたのかをずっと考えている。もちろん日本移民の貢献への高い評価がそうさせたという意見には同意するが、それだけではドイツ系やイタリア系より盛大であった理由は説明しきれない気がする▼知人が通っているバレエ教室のブラジル人教師が、ある日系二世を「セグ ...
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ニッケイ新聞 2011年8月25日付け サンパウロ市近郊サントアンドレーの在住岡崎完さん(70、北海道)から先日、興味深い話を聞いた。愛知揆一元外相が忙しい私的日程を割いて、1971年1月頃わざわざサンパウロ市までお忍びで岡崎さんに会いに来たと聞き、驚いた▼愛知揆一(1907—73年)といえば、外相として72年の沖縄返還協定に ...
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ニッケイ新聞 2011年8月24日付け 当然のように日伯、ブラジルと表記しながら「伯剌西爾」の由来を知らない。最初の2字は中国語の巴西(パーシー)の発音からきているとか。あとは当て字のような気もするが。当て字といえば「舞楽而留」▼皇国移民会社の水野龍の作とも言われ、移民募集の名コピーだろう。「舞って楽しみそして留まれ」というわ ...
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ニッケイ新聞 2011年8月23日付け ブラジル市場での薄型テレビ競争で日本勢が韓国の電気メーカーに完敗したと先頃—「樹海」に書いた。あの日立もテレビの国内生産から撤退したし、他の有名企業も敗退するとかの報道もあり、家電王国・日本はまったくもって元気がない。そして、近頃は韓国の「現代」と傘下の「起亜」の自動車が我が物顔に威風堂 ...
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ニッケイ新聞 2011年8月20日付け 今や超人気の「ラーメン」を列島で最初に食べたのは誰か?水戸藩主の徳川光圀公—というよりは水戸の黄門さまなのだという。あの水戸の名産・納豆も大好きだったらしい。黄門さまは、諸国漫遊で親しまれているが、忘れてならないのは「大日本史」の編纂であり、明の遺臣・朱舜水を招き、自ら弟子の礼をとったと ...
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ニッケイ新聞 2011年8月19日付け 水野龍は後藤象二郎の紹介で妻を娶ったことは、連載の中で書いた。そこでアッと気づいた。後藤の娘・早苗と結婚したのは、三菱創立者の岩崎彌太郎の弟・彌之助。その岩崎彌太郎の長男・久彌が、1927年に個人出資でカンピーナス市に購入したのが東山農場だ。このような維新以来の人脈が当地にも反映されてい ...
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ニッケイ新聞 2011年8月18日付け 笠戸丸移民に始まる初期移民がコロノ生活にあえいでいた1918年(大正7年)、日本初のポルトガル語辞書「葡和辞典」が発行された。編者は大武和三郎(1872〜1944)。19世紀末にブラジルに渡り、のちに在日本ブラジル公使館で通訳官を務めながら辞書編纂に血肉を削った▼その後も25年(大正1 ...
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ニッケイ新聞 2011年8月17日付け 16日付け2面にあるように、アンデス山脈を横断してペルー首都に抜ける本格的な陸路を通って、サンパウロ市のチエテ・ターミナルから4日がかりで行く定期バスが昨年11月から通っている。以前からルートはあったが、直通バスで5千メートル級の山道を進む本格道路とは旅情をそそる▼かつて「歴史上最大の馬 ...
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