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樹海

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ニッケイ新聞 2011年2月9日付け  藤山節雄さんが5日に亡くなった。歌手の井上祐見が98年から続ける南米公演で歌うあの「Sou Japonesa」「オブリガーダ笠戸丸」の作曲家だ。とくに前者は井上3度目の来伯公演の時に引っさげてきたもので、「私にも流れる大和の心は何を教える(中略)いつも心に抱いている白地に紅く燃える想い」と ...

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ニッケイ新聞 2011年2月8日付け  リオが43度とかになり、サンパウロも暑い。さながら日本の真夏日のようだし、夕日が沈む頃ともなれば、氷が浮く冷たい素麺や韓国の冷麺の舌触りが堪えられない。酒も冷たくし、酒器もカットグラスにし、これを傾ければ、日ごろの憂さも吹き飛ぶというものだ。と、筆を進めると—いやいや炎暑だからこそ「鰻です ...

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ニッケイ新聞 2011年2月5日付け  八百長というのは、もともと相撲からの言葉であり、勝ち負けを先に決めて土俵でいい加減な相撲を取るのを意味する。その昔。碁の好きな八百屋の長兵衛がお得意さんの相撲の年寄り(親方)とよく盤を囲むが、いつも手加減して負けるように仕組んだことから生まれたのだそうな、だから—大相撲で八百長があっても、 ...

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ニッケイ新聞 2011年2月4日付け  マリリア市に住む日高徳一さん(7面参照)の所へ新聞記者が取材に行くようになったのは、ほんの十年ほど前からだという。思えば弊紙自身が認識派のパウリスタ新聞、日伯毎日新聞の流れを汲むものであり、10数年前まで勝ち組関係者の記事を書くことはご法度の雰囲気が残っていた▼パ紙創刊時の先輩記者から「ガ ...

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ニッケイ新聞 2011年2月3日付け  セラード開発は田中角栄首相が1974年9月に来伯したのを機に始まったが、その時の秘話を最近聞いた▼来伯前に立ち寄ったメキシコで田中首相は100万ドルの手土産をポンと渡し、大統領と会見して日墨学院の早期開設に関する声明を発表、設立が一気に軌道に乗った。同地代表の松本三四郎氏の100万ペソ寄付 ...

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ニッケイ新聞 2011年2月2日付け  アフリカにセラード開発のノウハウを移植する壮大な「プロサバンナ計画」の記者会見を聞きながら、心中はどこか虚ろだった。セラード関係者と話していて「良い経験だった」と単純に言い切れる人に出会ったことがないからだ。大なり小なり辛い記憶がある地、そんな印象が強い▼足を使った取材で定評のあるコロニア ...

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ニッケイ新聞 2011年2月1日付け  峻険なアルプス山脈をアフリカの象を率いてローマに攻め込んだハンニバル将軍の話は人口に膾炙しているが、この古代の名将は地中海に大艦隊を誇ったカルタゴの人であり、あのローマ奇襲は紀元前218年のことだった。今、この国はチュニジアとなっているが、政権に反対する民衆の蜂起によってベンアリ前大統領が ...

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ニッケイ新聞 2011年1月29日付け  日本の裁判所にも誤審はあり、誤った判決で有罪となり刑務所に服役していた囚人が、後日になり無罪とわかり釈放されることが、いくつかあり新聞やTVの話題になるが、これの最大のものは、恐らく—幸徳秋水らの「大逆事件」であろう。明治10年(1910年)に発覚したこの事件は、幸徳秋水らが、明治天皇の ...

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ニッケイ新聞 2011年1月28日付け  美しい装丁を誇る俳誌『蜂鳥』(富重久子発行人)がこの2月に創刊25周年(300号)を迎えるに当り、隔月刊になるとの連絡を受けた。今までたゆまず毎月作り続けたその実績はコロニア史に残るものだ。しかし誌友の高齢化・減少により、ついに決断したと聞き、深い感慨を憶えた。歳月の流れは無慈悲なまでに ...

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ニッケイ新聞 2011年1月27日付け  サンパウロ市の地図を見て以来ずっと不思議に思っていることがある。なぜメトロは十字架の形から始まったか、だ。しかもサンパウロ市の始点たるセー大聖堂の真下を基軸に、東西南北にキリスト教にちなんだ駅名やインディオの言葉からとった駅名がずらりと並ぶ。サンパウロ市は457年前にイエズス会修道士のイ ...

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