ニッケイ新聞 2010年10月26日付け 日本はマツタケが大豊作だそうだ。近頃は「茸の王様」とされ珍重される松茸も、アカマツの林や森がきちんと整理されなかったり落ち葉が何層も積み重なってしまい不作が続き、中国や韓国―そして太平洋の向こう側の米やカナダからの輸入に頼っていた。あの松茸ご飯や炭火で焼いた秋の味も京都などの国産だと超 ...
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ニッケイ新聞 2010年10月23日付け 「新聞崩壊王国」の米国では、この10年で記者6万人が解雇で去り、仏の名門「ル・モンド」までが、インターネットに敗れ、身売りの話が表沙汰になっている。発行部数が世界一を誇る「新聞天国」の日本も例外ではない。全国紙の発行部数の公称は、読売が1000万部近くだし朝日、毎日と続くけれども、週刊 ...
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ニッケイ新聞 2010年10月22日付け わずか一年のうちに4人もの邦字紙の先輩が立て続けに亡くなった。日毎紙の初期編集長の八巻培夫さんが昨年10月、サ紙元編集長の野口浩さんが今年3月、初期のパ紙記者だった本永群起さんが5月、先日は弊紙の前身である日伯毎日新聞創立者の一人、中林昌夫さんだ▼33年に家族で渡伯した時、まだ10歳だ ...
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ニッケイ新聞 2010年10月21日付け 緑の地獄と言われたマナカプルー(現ベラヴィスタ)に移住した映画好きの少年がブラジル人から、対岸のマナウスで日 本映画を上映していることを聞く。「ハッショモン」だという。首を傾げながら、なけなしの小銭を握り締めバルサに乗った。黒澤明監督『羅生門』(50年)だった。「音声も画像もひどくてね ...
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ニッケイ新聞 2010年10月20日付け 大統領選の決選投票でどちらを支持するのか注目されていた緑の党(PV)のマリナ・シルバ氏が、〃中立〃の立場を表明した。4年後の大 統領選をにらんで「第三の道」を選んだ、どちらにも付かずに清廉なイメージを保ったとの見方もある▼だが、伯字紙の読者欄などを読んでいると「マリナの中立はあまりに〃 ...
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ニッケイ新聞 2010年10月19日付け 金正日総書記の3男・金ジョンウン氏が「大将」となり後継者に決まったそうだ。漢字では「正恩」であり、只今27歳の若き将軍さまながら「統率力」があって「親分肌」と、側近らの評判は真にいい。これまでにも、次は正恩氏が北朝鮮の指導者になるの観測が高かったし、金総書記の先頃の中国訪問も、この難問 ...
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ニッケイ新聞 2010年10月16日付け ドキュメンタリー手法のハリウッド映画「生きてこそ」を覚えているだろうか。1972年の10月、ウルグアイ空軍機がアンデス山中に墜落し、乗客ら45人のうち32名が生き残り、厳寒の中で犠牲となった人たちの人肉を食べ生き延びるという哀しい惨劇を描いたものであり、今もあの悲惨な映像が胸の奥深くに ...
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ニッケイ新聞 2010年10月15日付け 県連、日本語センター、生長の家、大志万学院などあちこちでお話大会が行われている。子供たちが一生懸命に日本語をしゃべっている姿を見て、この努力や日本語能力が報われる社会であって欲しいと強く願った▼例えば進出企業が社員を採用する時、日本語能力をもっと重視することができないだろうか。以前、企 ...
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ニッケイ新聞 2010年10月14日付け 所要で訪れたグァタパラ移住地でちょうど敬老会が行われていたので会場を覗いた。壇上には「第44回」の横断幕がかかる。同移住地の初入植は1962年だから、第1回敬老会は入植4年目だったことになる。入植35周年で編まれた記念誌『翔洋』によれば、老人会の歴史もまさに44年▼コチア参組と開拓にあ ...
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ニッケイ新聞 2010年10月12日付け 昨年、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したのには、正直に言ってびっくり仰天したものである。いや、佐藤栄作元首相のときには「なぜ佐藤さんに」と驚きいったが、今、振り返ってみると、あの頃は血気盛んではないが、若かったのだな―と猛省することしきりである。佐藤首相には「非核3原則」という高邁 ...
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