樹海
-
コラム 樹海
ブラジルの俳句、短歌の創作者人口が海外で最大であることが、改めて数字で分かった。第一回海外日系文芸祭(海外日系新聞放送協会主催)に応募した人たちの数である。当初の予想以上に多かった▼俳句の部は、かつ
-
コラム 樹海
イランやアフガンを始めアフリカでも多国籍軍と地元の政治勢力との紛争や部族抗争は多い。不幸な「戦い」としか申しようがないが、こうした人間の闘争よりももっともっと怖い病気が地球の隅々まで広がっている。悪
-
コラム 樹海
戦争の残虐さと悲惨。五十九年前の六日午前八時間十五分三十秒。広島上空に原爆が投下され二十四万七千人の命を奪った。広島の住民は三十万六千五百余人(当時)であるからいかに被害が大きかったかがわかる。九日
-
コラム 樹海
さきごろ三重、奈良、和歌山の三県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界文化遺産への登録が決まった▼ところが、めでたい、とばかり喜んではいられない。霊場の一つで、修験道の道場である大峰山の女人禁制
-
コラム 樹海
加古川の七人殺しには驚く。それも―親戚ばかりを鋭利な包丁で刺し殺すという無残な惨劇である。犯人は「長年の恨みがあった」と語っているそうだが、伯母や親類の人々を次々に襲い新しい洋包丁で腹や胸を貫き通す
-
コラム 樹海
モーダ(はやり、流行、ファッション)は、いつからか、若い層の気持をつかまなければ「モーダにならない」ようになってしまった感がある。衣服の購入者として、収入が多いはずがない、にもかかわらずである。おカ
-
コラム 樹海
今はもう無くなったが「集団就職」というのがあった。中学校を卒業すると農村の子供たちは汽車に乗って十時間も二十時間も掛け東京の町工場や左官屋の親父を目指し期待の胸を膨らませる。昭和二十年代の半ばから始
-
コラム 樹海
政治とカネの関係は古くて新しい。その昔には「井戸塀政治家」の言葉があり、政治の道に入ったばかりに資産を売り尽くし残ったのは井戸と塀だけという揶揄に使われたものだ。だが、こうした政治家は自分の財産を処
-
コラム 樹海
以前、何年前ごろといっていいのか、日本側がつくる、ブラジルやブラジル人に向けて来る広報パンフレットで、ポ語を使用したものは極めて珍しかった。それは、英語であったり、スペイン語であったりした。要するに
-
コラム 樹海
東北の田舎で暮らす知人から「今年は暑さがきつく大変です」の手紙が届いた。湿度も八五パーセントだそうだから蒸し暑さが酷いらしい。東京や大阪も炎暑だし四〇度を超したところもあそうだ。その一方―福井と新潟