ニッケイ新聞 2009年4月8日付け 在日ブラジル人は本当に減っているのか、試みに集住地の登録者数を調べてみた。 二月末と昨年四月時点を比べると、例えば長野県で約千三百(八%)、岐阜の大垣、美濃加茂、可児の三市計で約千人(七%)の減だった。帰伯したのだろうか。 「日本政府が六千七百レアル払う」、帰伯希望者への支援金支給を伝 ...
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ニッケイ新聞 2009年4月7日付け リベルダーデ秋の風物詩であり、お釈迦さまの誕生日(旧暦四月八日)を祝う「花祭り」についていくつかー。 母親のマーヤ夫人が白像の夢を見た後に懐妊が分かったことからお稚児さんが白い像と行列し、ルンビニの園(現ネパール)での誕生時、天地が喜び、甘露の雨を降らせた伝説が、釈迦誕生像に甘茶をかける ...
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ニッケイ新聞 2009年4月4日付け パウリスタ・スポーツ賞贈呈式で今井庸浩さんは、選手を見れば「どんな指導をすれば世界の舞台に立てるようになるか分かるんだ」と話していた。「僕の手にかかれば世界へ連れてゆける」。 初金メダルに輝いたバルセロナ五輪男子バレー出場選手六人のうち五人を手がけた。 しかしそんな今井さんも今は無所属 ...
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ニッケイ新聞 2009年4月3日付け 日本の新聞では、外国人だからーということなのだろう、日系人の名前をカタカナで書くが、邦字紙では、伝統的に漢字で書く作法がある。 「自分の名前だけは何とか…」と書ける人もいるが、見たら分かるという人には、数種類書いて選んでもらう。 本人が言うものと名刺が違うので「…どっちにしましょうか」 ...
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ニッケイ新聞 2009年4月2日付け チェ・ゲバラの映画のことを調べていて、「人は旅によって出会い、変り、成長する。自分自身と向き合い、世界と出会うために一歩を踏み出せ」との言葉を発見。 学生時代には自転車を改造した原動機付自転車でアルゼンチンの原野を走り、二三歳の時には知人と二人、中古バイクで南米大陸を駆け抜けたというゲバ ...
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ニッケイ新聞 2009年4月1日付け 新年度にあわせ、日本政府の新たな日系人支援事業が発表された。 就労支援と帰国支援の両面。四人家族なら百万円近い額になる帰国支援金支給には、与党プロジェクトチームの提言通り、日系人の在留資格では再入国できない、という条件がついた。 支援を受け帰国する人は〃もうデカセギはしない〃という覚悟 ...
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ニッケイ新聞 2009年3月31日付け 七年前、宮崎のとある田舎町に、子どもを抱え、女手一つで切り盛りするブラジル料理屋があった。その店に訪れるブラジル人客の中に、学校に通っていない子どもも来ていた。 そんな田舎にブラジル人が集まることも異様だが、親たちに混ざって話す彼女は、すごく大人びて見えた。こちらは友達と部活動帰りに多 ...
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ニッケイ新聞 2009年3月28日付け 自閉症児教育専門家、三枝たか子JICAボランティアが来伯してから二年弱、生活療法を行ってきた自閉症学級PIPAの生徒らはすくすくと成長した。今では一輪車に乗れる子もいる。 「子どもたちが、できないものができるようになったときの喜びがやめられない。とっても快感なんです」と話す三枝さんにと ...
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ニッケイ新聞 2009年3月27日付け 多方面での日系人の活躍が百周年で広く報じられたが、日本移民の研究者は意外に少ない。 コメントで登場するのもいわゆる専門家ではなかったり、日系社会のデータで約二十年前の「日本移民八〇周年史」が使われているのを見るたび、ルーツに立ち返る期間としての百年の時に思いを馳せたりもした。 このた ...
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ニッケイ新聞 2009年3月26日付け 「世界水の日」の二十二日付エスタード紙が、サンタカタリーナ州の水害被害者達が四カ月経った今も災害処理に追われている様子を掲載した。 家族や親戚を失った少年の寂し気な顔など、一つ一つの写真に胸が締め付けられるが、同州以外にも同様の悲しみや苦しみを味わっている人達がいることも忘れてはならな ...
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