ニッケイ新聞 2009年1月13日付け 日本では「若い娘は箸が転んでも笑う」というが、ここブラジルでは電車の中で雨漏りすると、皆示し合わせたようにゲラゲラ笑う。しかし、その笑いは決して蔑むような感じではない。日本だと、笑うどころか即座に駅員に抗議するだろう。 それまで各自音楽を聴いたり、読書をしたりしていたのに、老いも若きも ...
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ニッケイ新聞 2009年1月10日付け 四十俵の餅を搗き、三千食の雑煮と二万個の紅白餅を配るという大盤振る舞いだった「餅つき祭り」。全伯で盛り上がった百周年のトリとしてリベルダーデは賑わった。 またNHK紅白が、移民百周年企画の枠で同祭の様子を生中継して百周年を祝ったことは、コロニア史に残る。 しかし中身を見ると、NHK紅 ...
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ニッケイ新聞 2009年1月9日付け 百周年で独自事業を計画、実行したことで各地域の日系団体が団結したという話を耳にする。 一過性のお祭りに終わらせず、そのネットワークを将来に繋げる努力が百一年目の課題だろう。 昨年十二月にあった文協フォーラムもそういう意味で非常に有意義だったように思う。 今月末、JICA、農拓協共催の ...
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ニッケイ新聞 2009年1月8日付け 結婚式と葬式、出産と病気―こんな組合せだと私達は喜ばしい事に向かいたくなるが、慶弔が重なった時は弔事を優先させよとよく言う。 同様に、社内報告などで、悪いことほど早く知らせよというのは一つの鉄則。一刻も早く対処法を考えないと更に悪化する恐れがあるからだが、これがなかなか難しい。 良い結 ...
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ニッケイ新聞 2009年1月7日付け 金融危機の深刻化とともに、年末から年明けにかけて、在日ブラジル人社会の窮状が連日のように日本のマスコミで取り上げられている。 仕事や住む場所を失い文字通り路頭に迷う人、子弟の就学困難はブラジル人学校の経営まで影響し始めた。デカセギ開始から約二十年かけて形を整えつつあったブラジル人社会が根 ...
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ニッケイ新聞 2009年1月6日付け 神社にお参りに行ったり、デパートで福袋を買ったりする以外は家でゴロゴロと過ごす。〃寝正月〃は日本では理想の正月の過ごし方であるといえる。 しかしここブラジルでは、ナタルの飾りがそのままの街を歩くと、年末年始に関係なく働く人がこんなにもいるのかと驚かされる。 新聞はもちろん発行されている ...
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ニッケイ新聞 2008年12月30日付け フェイラや道端でマンゴーは一個一レアル程度で売られているが、我が郷土宮崎県は東国原知事の宣伝効果もあり、「太陽のタマゴ」の生産地として有名だ。 糖度十五度以上、三百五十グラム以上など厳しい基準をクリアしたものにだけに与えられる称号。一玉三千円を超えるものがほとんどで、県民でもめったに ...
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ニッケイ新聞 2008年12月27日付け ADESC(ブラジル農協婦人部連合会)が初めて制作したという二〇〇九年カレンダーを頂いた。卓上サイズで、「ADESCの仲間たち」と書かれた表紙をめくってゆくと、お揃いの赤いエプロンを着た各支部の女性たちの溌剌とした笑顔が眩しい。 美味しい手料理・加工品のファンも多いのではないだろうか ...
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ニッケイ新聞 2008年12月25日付け 品質管理の現場では、「PDCA(プラン、ドゥー、チェック、アクション)の輪を回せ」という合言葉がある。計画を立てて実行し、不具合を調べて改善策を打つという繰返しで品質向上を目指すというものだ。 日頃の生活ではPDCAまでいかないが、子供によく言うのは「後ろを振り返れ」の一言。 〃後 ...
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ニッケイ新聞 2008年12月24日付け 今日から年明けまで休みに入る日系団体もあり、百周年もひとまず終了という雰囲気が漂う。 この一年、本当にいろいろな場所で記念の行事が行なわれた。サンボードロモやローランジアだけではなく、それぞれの町の人達に、それぞれの思い出が残ったはずだ。 そしてまた、後世へと残る記念のものもたくさ ...
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