ニッケイ新聞 2008年7月5日付け 国外犯処罰要請に基づき公判中のネベス被告が釈放された。これに関連して、一部の日本メディアからは、遺族の言葉を代弁し、犯罪人引き渡しを求めるような飛躍した印象の記事も出ている。 記者も親子三人を殺害逃亡した被告に、なぜ釈放が認められたのかと思う。日本側の遺族や警察関係者とっても当然の感情に ...
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ニッケイ新聞 2008年7月4日付け 七月を迎え、ひとまず百周年の大山を越えた。記者も一息ついているところだ。 皇太子さまフィーバーでかすんでしまったが、六月には二十一県から慶祝団が来伯。名前が呼ばれなかったのは残念だが、十一県知事がサンパウロの式典に出席した。 母県との繋がりを肝要とする県人会としては嬉しい限りだろうが、 ...
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ニッケイ新聞 2008年7月3日付け 約三万人が訪れ、大盛り上がりを見せたサンパウロの百周年記念式典。式典の五日ほど前から入場券を配り始めたにも関わらず、多くの人が訪れ、成功だったと言っても良いかもしれない。 ただ、今回の成功は、百周年協会のがんばりよりも「百周年を祝おう」と無償で出演してくれた人たちのおかげだと感じられる。 ...
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ニッケイ新聞 2008年7月2日付け 百周年の今年ほど、日系美術家の作品がブラジル社会に紹介された年はないかもしれない。 ブラジル銀行、サンパウロ近代美術館や州立美術館など、権威ある美術館、施設が次々と記念展示を実施。今年一年では膨大な数に上るだろう。 「移民の子として移住した先輩たちが、困難な時代に美術を志し、道をつけて ...
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ニッケイ新聞 2008年7月1日付け 皇太子さまは滞伯中、訪問先で日系人と接見された。その際の迎え入れられた側の服装で面白いことがあった。 サンパウロでのこと。二世女性の一人が、ブラジルでは新しいモーダとされる、上着が長いコンジュントを着用して会場に行ったそうだ。 ところが、接見室に入る前に、「係員」から上着をぬぐよう指示 ...
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ニッケイ新聞 2008年6月28日付け きょうサンパウロ市チエテ環境公園で大凧が揚がる。静岡県浜松市の大凧だ。関係者によれば、来場者は五万人を見込む。サンパウロの百周年式典より多い人数だ。ブラジル人の子ども達を大勢呼んでいるという。 静岡市出身のオーリャ子にとっても、浜松の凧揚げ合戦は幼いころの思い出。鮮やかにデザインされた ...
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ニッケイ新聞 2008年6月27日付け 各地で行なわれた百周年式祭典は、皇太子殿下をお迎えすることで最高潮に達した。今年に入り百周年・日系社会を報道してきたブラジルメディアも大きく取り上げた。 「今回の訪問が日伯友好に役立てば」というお言葉の通り、『日本移民百周年』がさらに認知されたことは間違いないし、コロニアのみならずブラ ...
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ニッケイ新聞 2008年6月26日付け ブラジル滞在中にリオをご訪問された皇太子さま。二十四日朝には、霧が多くて、ポン・デ・アスーカルの訪問が難しい状況だったが、予定より約三十分遅れて、頂上にお姿を見せた。 世界三大美港に数えられるリオデジャネイロの港やコルコバードの丘にあるキリスト像に終始ご満悦の様子。 美しい景観をご覧 ...
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ニッケイ新聞 2008年6月25日付け 百周年のクライマックスとも言える、三都での記念式典が終了した。 サンパウロ市では心配された入場の混乱はなく、パラナでは予想を大幅に上回る七万人以上が来場。大統領から州知事、市長まで、最大級の賛辞で日本移民、日系社会のブラジル国への貢献を称えた。 日本では、皇太子さまが臨席された式典、 ...
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ニッケイ新聞 2008年6月24日付け サンボードロモにおける日本移民百周年式典で、しゃれた演出といえば、やはり神戸から運ばれた「友情の灯」の点火。灯が会場内に入ってからは、ブラジル国内の著名スポーツ選手により、リレーで点火台まで。 日系の小山ウーゴさん(卓球)、石井バニアさん(柔道)らが紹介されたが、観衆席が最もどよめいた ...
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