ニッケイ新聞 2008年6月21日付け きょう、サンパウロの移民百周年記念式典がサンボードロモで行われる。この日を楽しみにしてきた人も多いだろう。 移民百周年協会の設立から約五年。五年〃も〃あったのに、記念式典会場の選定にはじまり、本番一週間前に入場券の配布でもたつき、信用を大幅に失ってしまった。 日系人の知り合いが「ブラ ...
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ニッケイ新聞 2008年6月20日付け 皇太子殿下がブラジリアに無事ご到着、十八日にあったルーラ大統領や連邦議会主催の式典やコロニア代表者とのご接見をこなされた。 同日夜のイタマラチー宮晩餐会の前には、数百発の花火が打ち上げられ、慶祝モード一色に。 翌日、サンパウロに戻ると、ガルボン・ブエノにはためく日伯両国旗。リベルダー ...
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ニッケイ新聞 2008年6月19日付け 二十一日にサンパウロ市サンボードロモで行われるサンパウロの記念式典。式典開催の五日前にしてようやく入場券を配り始めた。初日の十六日には、百周年協会の会員、七十九歳以上の人のみを対象。多くの人は、入場券を手に入れるために並び始めたが、次の日に回された。 十七日に文協を覗くと、十時から配布 ...
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ニッケイ新聞 2008年6月18日付け サントスからサンパウロまで歩いた「移民百年の道ウォーク」初日、サントスの出発点を訪れると、「カタオカ一家を称える」と書かれた紙を持つ非日系の夫妻がいた。 三百キロ離れた町から来たという。夫妻によれば、カタオカ氏は初期の移民。父母の代から交流があり、「町のためにも尽くした彼を顕彰したかっ ...
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ニッケイ新聞 2008年6月17日付け 日本移民百周年を迎えた節目での、ブラジル日系二世重鎮の〃自己評価〃――「二世の日系人は、現在の日本人より日本人っぽい」。非常に興味深い評価だ。汎米各国の日系人指導者層を集めたラテンアメリカ会議の講演会での発言である。 比較の対象・基準というか、そういうものは漠としているが、言わんとして ...
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ニッケイ新聞 2008年6月14日付け 移民百周年記念式典まで、残り一週間。入場券の配布手続きや式典当日の入場、式進行など、心配の種は尽きない。ただこうしたものは人的要因であり努力、対策で何とかなる(はず)。ただどうしても神頼みになるのは、式典当日の天気だ。 インターネットでサンパウロの式典がある二十一日の天気予報を調べてみ ...
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ニッケイ新聞 2008年6月13日付け 天皇・皇后両陛下のご希望もあり、史料館へ御下賜金が寄付される。皇太子殿下をお迎えするため、急ピッチで文協ビルの改装が進んでいる。 史料館では、葡和・和葡辞典を編纂した大武和三郎の常設コーナー(今年三月完成、七階)にもお立寄りになるようだ。 ブラジルに渡るため、大武が横浜で乗艦したアル ...
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ニッケイ新聞 2008年6月12日付け 今月二十一日、サンパウロ市アニエンビー・サンボードロモで行われる日本移民百周年記念式典。八日に初めて、全体通しの練習が行われた。今回は、祭典第一部への出場予定チームと第二部に参加する一部のチームが集められた。 当日は約一万六千人が参加予定のなか、今回は約一万人、本番に勝るとも劣らない人 ...
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ニッケイ新聞 2008年6月11日付け サンパウロ市で開かれたバンデイランテス植民地出身者の集いを訪ねた。 戦中の一九四四年に入植した同地。日本人が集まる事も禁じられていたはずだが、「田舎はそうでもなかったんですよ」と出席者の一人。暗い時代を想像していた記者には、新鮮に響いた。 それでも戦後は日本の戦勝や「南洋行きの船が来 ...
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ニッケイ新聞 2008年6月10日付け サントス厚生ホームは、市内のバイシャーダにある。同地域は、古い建物が圧倒的に多く、みんな五、六十年くらい経ている感じ。セピア(黒茶色)とはいわないが、街がくすんで見える。具象画の絵描きの創作意欲をそそりそうだ。 実は、ホームの建物が、この風景に馴染んでいる。築十七年も経れば当たり前かも ...
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