ニッケイ新聞 2008年1月11日付け 「最初は違和感があったが、思想など関係なく伝統としてやっている」 そう話すのは、イタペセリカ・ダ・セーラの新年会で教育勅語奉読を務めた五十九歳の戦後移民。いわゆる団塊の世代で、教育勅語はブラジルで初めて読んだという。 戦後三十五年目に生まれたコラム子、戦前にタイムスリップした感覚だっ ...
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ニッケイ新聞 2008年1月10日付け 今年も六時間を超える長時間踊り続けた、藤間流の新年恒例踊り初め。正月明けの行事とあって大勢の人が来ると思われていたのだが、空席が目立ち、来場者のほとんどが高齢者だった。中には非日系人の姿もちらほらとあった。 そんな状態でも出演者が舞台に出てくるたびに観客席からは、大きな拍手と写真のフラ ...
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ニッケイ新聞 2008年1月9日付け 今回も盛況だったリベルダーデのもちつき。商工会の網野弥太郎さんによれば、始まった当時は量も二、三俵程度。付近の商店主から苦情があったという。「もちが売れなくなる」からだ。 「でもおかげでブラジル人が食べ方を覚えてね、かえって売れるようになった」と網野さん。日系食品店前で売り子が「シロモチ ...
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ニッケイ新聞 2008年1月8日付け 食べものが傷みやすい季節である。 アクリマソンのフェイラに、卵を買うならここにしよう、と決めている店がある。日系二世夫婦が、非日系人のアジュダンテ一人とやっている。主人は「正月早々、仕入れがうまくできなかった」(だから、きょうのは、いつもより鮮度が落ちている)と、はっきり告げてくれる。こ ...
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ニッケイ新聞 2008年1月5日付け 〇八年の新年特集号で紹介したブラジル各地の鳥居。その一つとして紹介した北パラナのアサイ市を年末年始、訪れた。青空の下、大豆、さとうきび、トウモロコシ畑の碧が延々と続く大地の中に、街は小さくあった。 この街の入り口には凱旋門型の大きな鳥居があった(新年号で紹介済み)。この度実際に同地に足を ...
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ニッケイ新聞 2007年12月29日付け サンパウロ市在住の中村・大西エンゾ裕太くん(3)は純血の日系六世だ。来年の移民百周年を象徴する存在として、NHKをはじめ日本のメディアも取材をおこなったそうだ。 そんな取材攻勢を受ける中で、母親バネッサさんは「六世の親として責任を感じるようになった」という。息子にも日本語を勉強させた ...
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ニッケイ新聞 2007年12月28日付け 百周年協会がリッファを始めたらしい。らしい、と伝聞の形を取るのは、さっぱり広報活動をせず、すると言った約束を守らない同協会へのささやかな嫌味だ。 リッファについては、二世幹部たちが長らく反対していた。この段階で始めたと聞くと、ようよう金策に窮してか―と勘繰らざるを得ない。 一口二十 ...
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ニッケイ新聞 2007年12月27日付け JICA(国際協力機構)とサンパウロ州軍警が協力して行っている、地域警察活動プロジェクトへの、協力期間が終りに近づいてきた。七日に行われたモデル交番の進捗・定着度合いの視察では、日本から関係者が来伯し、三年間でどのように変化したかの調査を行った。 関係者たちは厳しい目で現在の交番状況 ...
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ニッケイ新聞 2007年12月25日付け 遠く離れていても、これほど血縁・地縁の深いところがあろうか。 先ごろ沖縄県嘉手納町のかでな文化センターで「めんそーれブラジルかい」と名付けた芸能チャリティ公演が行われた。来年サンパウロで開催される県人移民百周年記念式典(経費)を支援する催しだった。沖縄ブラジル協会の主催で、今後五回や ...
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ニッケイ新聞 2007年12月22日付け サンパウロ市文協の図書館の一角に、JICAシニアの山本自子さんらの手によって、移民史関連の書籍や各日系団体の記念誌、ポ語学習用の教材、句集などの専門コーナーが設置されている。 同図書館は文学関連の書籍を中心に、約五万冊を所蔵する。すでに大方の書籍をデータ登録し、コンピュータで検索など ...
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