ニッケイ新聞 2007年9月12日付け 新聞記者の麦喜久夫さんが、サンパウロ新聞社勤務を最後に記者生活を閉じた。享年七十九。頑健な人だったが、晩年はたくさんの病気を抱えていたようだった。 新聞社では、もっぱら翻訳(ポ語→日語)をしていた。子供移民で晩学で弁護士になった人だ。伯字紙や雑誌を裏の裏まで読み、意訳して日本語新聞の記 ...
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ニッケイ新聞 2007年9月11日付け なぜ今ごろ、すでに亡くなった女性歌人の歌集を出すのか―。 「歌を詠むことは自分がどういう人間として生きるか、人間としてのアイデンティティーを求める作業」と、弘中千賀子、陣内しのぶ両氏の遺歌集を編集した前山隆さんは想いを話す。 「特に準二世は、小さい時から心の中に様々なコンプレックスを ...
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ニッケイ新聞 2007年9月6日付け ブラジル農業拓植協同組合中央会が創立総会から、半世紀後の十月二十七日、記念式典を開く。 農拓協が移住手続きを行った人数は、把握しているだけで二百四人。リストを見ると帰国者が多く、コロニア周辺で名前をよく聞く人は少ないように感じる。 来伯四十年の役員でさえ、分かる名前は数名だという。地方 ...
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ニッケイ新聞 2007年9月6日付け 毎月末に行われる恒例の県連代表者会議。県連に所属している各県人会はこの会合に出席し、意見交換などを行う場として活用している。 毎回代表者からの意見に対して、意見の対立が起こっているために会合の進行が遅れることもしばしば。 今回もなかなか思うように進行しないのではないか、と不安の念にから ...
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2007年9月5日付け 先月掲載した、サンパウロ州ドウラードにある日本人位牌堂の記事について、バウルー在住の読者から連絡があった。 八十歳を超えたその男性は、七四年に墓地で行われた慰霊祭に出席したという。彼の記憶から、当時堂の新装に関わった人々の名前が分かった。 サンカルロス在の鈴木保重氏のほか、小川正幸、上村久一、長沢信 ...
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2007年9月4日付け 「今ね、日本で『どんだけ~』が流行っているんよ。他にも『メタボ』とか『脳トレ』、『ビリーズブートキャンプ』も人気なんよ」。 先日、日本から渡伯した友人が日本でのハヤリを教えてくれたのだが、その言葉の意味がわからないことに愕然とした。 「どんだけ~」には様々な使われ方があるようだが、「驚きを表すときの ...
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2007年9月1日付け 「本当に素晴らしいお話。いっしょに長生きしましょうね」―。先日、宮城県人会会館で開かれた百一歳の曻地三郎さんの特別講演には大勢の人が駆けつけた。講演後には冒頭のように声を掛け合う婦人が多くいた。 講演では百一歳とは思えない曻地さんの覇気ある声が響く。独自の教育理論のほか、幼児教育や長生きの秘訣も多く語ら ...
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2007年8月31日付け クリチーバは寒かった。摂氏七度だというのだから、たまらない。 しかし、州政府が百周年に協力することを条例に定めた二十八日午後に開かれた記者会見の会場は、外気とうってかわって〃熱い〃ものだった。 高山ヒデカズ下議が教会の説教でならした得意の演説で喝采を浴びれば、記念式典が開かれるローランジャの市長が ...
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2007年8月30日付け 民謡公演で来伯した民謡名人位の佐々木基晴氏にはかなり驚かされた。日本に十人もいないという名人位の称号を与えられている人ということを聞いていたので、初対面の日は少々緊張気味。 そんな考えとは裏腹に、来伯十四回目ですでに手馴れたものだ。よく来てくれた、と満面の笑みを浮かべて両手でガッチリと握手を交わした ...
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2007年8月29日付け 山口県人会八十周年出席のためブラジルを訪れた二井関成県知事が滞在中、南麻州バルゼア・アレグレ移住地を訪れた。 五九年から入植、山口出身者が多く移住し、「山口村」とも呼ばれた同移住地。四十四家族のうち、今も七十人ほどの県系一世・子弟が住む。 入植初期の旱魃で味わった辛酸。その後安定へとつながった養鶏 ...
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