九二年に故・渡辺少南さんが始めたアルファベット書道。今では筆を使うようになったが、始めは三角に切ったダンボールに墨をつけて書いていたそう。墨と言っても白のペンキに黒の塗料を交ぜたもの。日本の高校生書道展に出展するため、高校生を集めて書いてもらうそうだが、趣味でする人は少ないという。ブラジル人には白と黒の美しさがあまり受け入れら ...
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先日、平野植民地を取材で訪れた。六百人以上が参集。しかし、迎える側はわずか十二家族。近隣移住地の協力があったとはいえ、式典と千人分の食事の準備は大変だったろう―。 三百家族以上がいた植民地最盛期の一九三〇年代、「結婚式の招待状を配って歩くのが大変だった」というかつての少年。六十年振りに懐かしの土地をこのたび訪れた。 「タツ ...
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サンパウロ・ファッションウイークが、四日終った。イベントが始まって十年。一昔前に比べ、デザイン学校や市民が身に付ける服飾品の数は大幅に増え、モデルは世界的に注目を浴びるようになっている。 モーダの知識が深いわけではないが、ブラジル人はトータル的なファッションが上手だなあと、つくづく感心させられてしまう。大金をかけて、着飾って ...
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日本のランドセルについて、あんな重いものを六、七歳の子供に背負わせるのは発育によくないとか、体格の大きな上級生の男の子に無理に持たせるのはどうかなどと言われているが、六年間同じ物を使っていれば物を大切にする気持ちや愛着が湧くし、ランドセルに背負われているようなちびっこや小脇に抱えて登校する六年生を眺めるのもおもしろい。 こち ...
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あっちもこっちも絵になるリオデジャネイロを歩いていると、撮影風景をしばしば見かける。 先週末は、買い物客でにぎわう雑貨衣料の問屋街サアラ区で遭遇した。 「突っ立ってないで。引っ張るのを手伝って」 私に向かって怒号が。すると、太い電線を手渡された。カメラのそばで見学していたら、助手と間違えられたのだ。 半年前にも、似たよ ...
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日本文化を継承したい―。フランカ市から約十キロ離れたクリスタイス・パウリスタ市の文化スポーツ観光局長を務めるアリエル・シャロンさん(26)は「日本が大好き」だと言う。去年はフランカ日本人会ANBFR設立に中心的な役割を果たした。 しかし、当の同会会長や同市市長は日系二世だが、あまり関心がないようだ。「日本人会館や日本語学校を ...
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グァタパラの知り合いに電話。何度も掛けたが、不通状態が続く。掛け先の家人が最近、マージャンゲームにはまっているのを知っている。「ははぁ、インターネットに繋いで世界の誰かとポンチーか」。 次の日、繋がった。冷やかすと、電線が盗まれたのこと。よくあることらしく、開通工事もすぐに行われるようだ。 今週末、平野植民地九十周年祭が ...
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サンパウロ市の外れから先日、タクシーを拾ってグアルーリョス市に行った。事前に、運転手に通りの名を告げると知らなかったので、簡単な地図を渡した。 目的地に着くと、メーターは五十レアルを指していた。さらに、二十レアルを要求された。「市を跨ぐと別料金です」。タクシーをほとんど利用しないので、つい騙されていると思い込んだ。 「そん ...
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「サンパウロ人、文科学研究所ってなんですか」―。そんな質問の電話がかかってきたという人文研。日本人移民や日系社会に関する調査研究を行っており、諸外国の研究団体からも評価を受けているありがたい機関なのだが、「経営危機だ」と関係者は嘆いている。 一九八〇年ころまでは会費で運営ができていたが、九〇年代の日本のバブル崩壊による日系企 ...
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新聞稼業を生きる者として、というとエラソーだが、一応可能な限り各紙をチェックしている。 最近はエスタードのグラフページが、いい。一刻一刻の街の動静を写真で伝える「サンパウロ24時間」が楽しみだ。 長期連載中の「今日の一場面」の、切り口もいつも鮮やか。先日は、ピニェイロス環状線の分離帯でさまようカピヴァラの姿を、走行中の車中 ...
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