カレーライスは庶民の味。でも、市販の輸入固形ルーは少し割高な気がする。 今でこそ固形ルーという便利なものがあるが、昔はカレー粉を使ってカレーを作っていた。スーパーでは、ブラジル製のカレー粉なら四レアル足らずで買える。 粉末で作るカレーに挑戦した。虎の巻を見ながら料理したが、味が安定しない。悩んだ末、レケイジョンやケチュッピ ...
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現在、広島県人会は大忙し。会館の竣工記念式典に母県から、藤田雄山県知事や県議会からも八人の議員を含めた訪問団がブラジルを訪れる。 広島の企業などを代表した三十数名のなかにはテレビ局関係者もおり、今回撮影を行いたいとの連絡と要請があった。 内容は「一世移住者で『テレビ局的に面白い』職種で成功している人のインタビューを行いたい ...
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評価ゼロと言われたバルゼア・アレグレ移住地。何故、留まって我慢したのかと質問をぶつけたところ、沖島義智さん(七一)は、「動くに動けなかっただけ」と、本音をのぞかせた。 『アマゾンの歌』(角田房子著)で主人公の山田義一氏が同様の台詞を語る場面がある。 「よくトメアスーでがんばりぬいた。えらいもんだ――などと賞められることがあ ...
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どこまでが戦後移民なのか――。戦後五十周年記念講演会を聴いて、九二年に来た自分は戦後移民なのかと自問してしまった。JICA公式統計では〃戦後移民は八一年一月に終わった〃との話が出たからだ。 八一年以降に住み着いた人は、公式にはただの〃海外在住者〃であって〃移民〃ではないようだ。戦後きてコロニアに帰属意識がある者が戦後移民であ ...
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今年一番の冷え込みとなった先週末。新聞で久しぶりに「テーラ・ダ・ガロア」の文句をみかけた。霧のサンパウロ。古き良き時代のこの街を偲ぶ言い回しでもある。 都市開発が進み街路の樹木も減った近年は霧の日もめっきり少なくなり、代わって街には犯罪が目立ち始めた。「霧が晴れ、白昼の下、すべての悲惨は見出される」(フランクル『夜と霧』)。 ...
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中世以降、欧州諸国による侵略から闘い続けた南米大陸。この地で「リベルタドーレス(解放者)」をその名に抱く大会は特別の意味を持つ。 四十年ぶりの栄冠に片手をかけながら、ボカ・ジュニオールスの前に、涙を飲んだサントス。 昨年以降、快進撃を続けた港町のクラブに、老若男女は熱狂した。 夢破れた二日夜のモルンビー競技場では、完敗を ...
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先月、一本の電話を受け取った。 本紙七面(四月八日付)の「『日伯学園構想に関する報告と提言』を文協が配布」という記事を読んでの問い合わせ。 「そちらは文協ですか」「いいえ、ニッケイ新聞です」「えっ」 というやりとりの後、その記事中で文協の電話番号が本社のものと入れ替わっていたことを思い出した。 そのことを説明しなが ...
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昨年八月に帰国した打楽器奏者の翁長みどりさん(四二、那覇出身)。滞伯十二年、リオやサンパウロ市のサンバ学校に参加、様々な演劇音楽やバンドで活躍。その成果を引っさげての帰国だった。 当時、本人は「日本で食べていけるかどうか・・・」と不安げだったが、フタを開ければ、障害児への独自の音楽教育が、産経新聞でも大きく扱われるなど、業界 ...
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笠戸丸移民二百余名が入植したリベイロン・プレット地方を先週末訪ねた。 炎天下の七夕祭り会場。スキヤキの湯気がもくもくと上がっている。スシよりも人気が高い当たりは内陸らしい。牛飼いのひこぼしが銀河の彼方で微笑む姿が見えた気がした。 同地方は銘水が湧くことで知られる。アンタルクチカ、カイゼルといったビール会社が工場を置いた時期 ...
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南マ州のバルゼア・アレグレ移住地(テレーノス市)から約百五十キロのタウナイにインディオ保護区があり、テレーノ族が七部落に七千人ほど居住している。 アルデイア・モリーニョ部落を訪ねた。ブラジル人との接触で固有の文化がすたれてきたのは、ほかの部族同様、ここも例外ではない。 ジョアン・パウリーニョ酋長によると、最も力を注いでいる ...
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