今日二十一日は「世界宗教デー」ということで、〃救い〃の話でも。 日本帰りの知人からお土産を頂いた。インスタント・ラーメン。値段はたった二十五円という。底知らずのデフレ振りに絶句した。商品名は『幸麺』といい、宣伝文句は「元気が出て、幸せになる中華そば」。大ヒットらしい。出口なしの低迷は、中国製インスタント麺に〃救い〃を求めると ...
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コラム オーリャ!
昨年十月下旬に来聖した日本人青年。日本を六月に経ってからブラジルを旅行したはいいが、途中で持金が無くなった。 カンポグランデから徒歩でサンパウロを目指したものの、途中で力尽き、地元住民のカンパでサンパウロまでようやく辿り着いた。 しかし、サンパウロでも野宿など浮浪者同然の生活を続け、ついに援協に保護された。リベルダーデ区の ...
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一九九五年の今日、日本時間で午前五時四十六分。ピンと来るだろうか。阪神・淡路大震災である。テレビの中で燃え盛っていた神戸の町並みを今でも思い出す。 神戸市東灘区には、震災で親などを亡くした子供の精神的なケアを目的として建てられた「レインボーハウス」がある。 地道なケア活動の結果、「自分も死ねばよかった」と思っていた時期を脱して ...
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草の根無償資金の贈与署名式が十日、援協傘下のやすらぎホームで開かれた。池田維大使の都合上、午後四時から午後四時四十五分まで、時間厳守で進めなければならなかった。 来賓のエロイ・ピエッタ・グァルーリョス市長がブラジルの習慣で遅れると、関係者をやきもきさせた。案の定、約三十分遅れで到着、何とか式に間に合った。 あえて、ピエッタ ...
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サルバドールで〃聖戦〃が勃発した。かたや、このコラムでも以前とりあげた、TVメディアを駆使して大躍進中のエヴァンジェリコ派教会ウニヴェウサル・ド・レイノ・デ・デウス、もう一方はアフリカ伝来宗教のカンドンブレだ。 今年初めからウニヴェウサルが経営するTVレコルジ系列が、番組の中でカンドンブレ批判をはじめ、それに対して、パイ・デ ...
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新年号に「日本人画家たちが残すもの」の拙文を書いた。そこでも取り上げたが、彼らの筆がよく描いたものはやはり、「町の衰退した地点」にあったと思う。時代遅れとなりつつあった娯楽風景もその対象となった。 高岡由也が「闘鶏」を、玉木勇治が「シルコ」を描いたのは四七年のことだ。当時、サンパウロ市は人口百五十万以上を抱える南米一の大都会 ...
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新年号の特集で『リーダーに必要なものは?』と幾人かのコロニアの有識者に聞く機会があった。それぞれの一家言を拝聴したが、そのなかで『人の話を聞くことの出来る人』というのがあった。 コロニアの会議を傍聴することが度々あるが、『談論風発』というわけにはいかず、皆がそれぞれの言いたいことだけをタイミングも考えずに発言し、会議自体が全 ...
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「すみませんね、肺ガンの治療中で、声を出しにくいんです」取材の最中に、こう言った人がいる。七十五歳。鍼灸マッサージが仕事で、その最中に取材に応じてもらった。確かに治療中の「患者」だが、来院する人を鍼灸で治療する側でもある。 別の取材では、HIVに罹っている人の話を聞いた。エイズ発症を抑える薬を飲みながら、他の感染者の就職のために ...
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先日、訪日したおり、親戚と知人に頼まれて、日本にいるおばや姉に土産を届けた。年末で慌しい中、両者とも親切に応対してくれた。 通信機器の発達で容易に連絡をとれる時代になったとはいえ、ブラジルは地球の反対側。会う機会は少ない。 ブラジルに住む姪や弟の生活、健康などを案じていた。その温かさが身にしみた。 ふと、野口雨情の詩、「 ...
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MPB(ブラジル大衆音楽)の時代はすでに終わっていた、と六日付フォーリャ紙は断じた。昨年サンパウロ州とリオそれぞれのCDベスト10にMPBは三枚だけ。国産音楽の売れ筋はサンバとパゴッジという時代だ。 軍政時代に外国文化紹介が制限され、その反動ともいえる解放運動の一翼を担ったMPB。もれ聞く外国音楽に独自のスパイスを利かせて若 ...
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