「“まくとぅ”は日本語で誠という意味。分かるよね?」と説明し琉歌を吟じ始めたのは、南麻州カンポ・グランデ市在住のクリスチアン・プロエンサさん(27)だ。野村流古典音楽協会ブラジル支部の創立65周年記念公演に出演するために上聖。非日系人だが日本語を話し、ウチナーグチも少し分かるとか。 14歳の時に非日系の友人に誘われ、エイサー ...
続きを読む »オーリャ!
反応が大胆な映画鑑賞者
来伯して1か月、先日初めて映画館に行った。「世界最大の日系社会があるのだから、日本語の吹き替えや字幕がついた映画が上映されているのでは」と期待して探したが見つからなかった。 仕方なくポ語字幕がついたアメリカ映画を選び、チケット窓口では携帯の翻訳アプリを使ってやり取りして、どうにか買った。 詳細は分からないが素晴らしい映画だ ...
続きを読む »“人たらし”な魅力
ブラジル日本語センターの日下野良武理事長は就任直後の昨年4月、活動の3本柱の一つとして「日本との連携強化」を挙げた。その後すぐに訪日し、日本政府へ支援を訴えた。今年で77歳を迎える同氏の行動力には、いつも刺激を受ける。 日下野理事長はかつてサンパウロ新聞専務を務めた経験があり、今もジャーナリストを続けている。初対面の時からサ ...
続きを読む »ブラジル人の“おもてなし”
こちらに来る前、日本で知り合ったブラジル人留学生に友人を紹介してもらい、先日こちらで初めて顔を合わせた。「まだ観光してない」と言うと、彼は親切にもサンパウロ市セントロ周辺を案内してくれた。 オーリャ子がポ語を殆ど話せないため、拙い英語で彼と意思の疎通をした。彼は会ったばかりのオーリャ子を美術館や有名洋菓子店、劇場地下の洒落た ...
続きを読む »皇室への関心
本紙で記者研修を始めて約3週間になる平成9年生まれのコラム子。改元が迫り、皇室に関する記事を扱うが、実は私自身は皇室にあまり関心がない。 中学1年生の時、東日本大震災が発生した。三重県に住んでいたので幸い被害はなかった。だが報道を目にし、いかに凄まじいものかを知った。その中で、天皇陛下が被災地を慰問される場面が印象に残った。 ...
続きを読む »元ニッケイ新聞記者の足跡
インターネット上で、04年にブラジル日本交流協会を通じて本紙で研修を受けた先輩男性記者のブログを見つけた。しかも日本に帰った後、当時を懐かしんで11年に記載したもの。同じ記者の足跡に、親近感が沸いてついつい読んだ。 恐ろしいことに、先輩記者はかつてグリセリオ街にあった社員寮に滞在した。当時から相当治安が悪かったそうで、「到着後 ...
続きを読む »文協選挙はこれでいい?
ブラジル日本文化福祉協会の評議員が、先月30日の総会で候補者87人の中から75人が選ばれた。来伯して日が浅い記者には今ひとつ仕組みが分からない。 とくに気になったのが、当選者リストに「法人」(団体)と「個人」が同列に並んでいることだ。とても違和感を覚える。普通は別々のカテゴリーではないか。 だいたい、その団体が文協の評議員 ...
続きを読む »最後の最後では団結を
上塚植民地入植百周年の一連の祭典事業は、今後開催される80歳以上高齢者表彰ならびに晩餐会を以って終了となる見込みだ。 勝ち負け抗争や上塚翁が住んでいた地所の売却問題に端を発して関係が縺れ、日伯文化体育協会と日系文化運動連盟の二団体が並存していた当地。だが、入植百周年を機に二団体が統合を見据えて祭典委員会を発足し、これまで歩調 ...
続きを読む »ユーチューブから始まった政治活動
「若手日系人の集い」で初めて知ったが、政治とは無縁だったキム・カタギリ連邦下議(23歳)が、社会問題に関心を持つようになったキッカケは、高校の授業で取上げられたボウサ・ファミリアだった。「国の発展のための政策だと教わったが、詳しく制度を調べてると、単なるばら撒きに過ぎないと思った。そこで批判ビデオを作りユーチューブに投稿すると ...
続きを読む »軍政時代の生々しい話
ある日の午後、陸軍予備役大佐の京野吉男氏を取材していたら、軍事独裁政権時代の話になった。当時の話はタブー視されている印象なので、このように聞くのは初めてだった。 軍政時代は1964年に始まり、85年まで21年間続いた。現在83歳の京野氏は、当時30代、40代。まさに軍人として全盛期だった。 軍政時代は一般的に「クーデター」 ...
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