ニッケイ新聞 2012年1月3日付け 上塚周平の一句「ブラジルの初夜なる焚火祭りかな」でお馴染みだが、笠戸船が着港したさいフェスタジュニーナを祝って火が焚かれており、移民は自分達の到着を祝って行われていると勘違いしたという。 新年号で紹介した沖縄出身の笠戸丸移民・渡久地政人氏の子孫の集まり。ポ語しか話せない息子は「父はそう話 ...
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ニッケイ新聞 2011年12月15日付け 「リンゴは木になるまで6年かかる。それまでは金にならず、ピエダーデ時代のパトロンが良い人で助けてもらった。今でも思い出すと涙が出る」—と取材中言葉を詰まらせたサンジョアキンの細井健志さん。 62年にコチア青年として来伯し、7年間ピエダーデでジャガイモ栽培に従事した後、74年最初にサン ...
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ニッケイ新聞 2011年12月13日付け ブラジル人は絶対に謝らない—ということを改めて実感した。 先日マナウスに3日間出張したさい、帰りの飛行機がブラジリア経由だった。マナウス発の飛行機が1時間ほど遅れ、到着したのが約4時間後。急いで搭乗口に向かったが、サンパウロ行きの便は出た後だった。 愕然として航空会社のカウンターで ...
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ニッケイ新聞 2011年12月6日付け 「ようこそお越しくださいました!」「またぜひサントスに来て下さい!」—。サントス厚生ホームを訪れるときは、いつも前園マルセリーノホーム長の明るい挨拶で迎えられる。 サンパウロ市からの訪問客を一人ひとり握手しながら出迎え、帰りもバスに乗り込んで挨拶し、手を振って見送る。些細なことだが、な ...
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ニッケイ新聞 2011年12月3日付け 二人部屋で同室の日系人とのトラブルが続いている。食べ物を盗られたり、深夜まで大音量でテレビを見たり電話したり…挙げるときりがない。 注意しても認めず、舌打ちしてドアを乱暴に閉めて出ていく。他の住人も食べ物を盗られる被害が出たため退去の署名を集めている。だが、以前から同じ事があったようで ...
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ニッケイ新聞 2011年12月1日付け カンピーナス大学留学生らのボランティア団体「サンパウロFor Japan」による震災支援コンサート。 「名義だけでも」と頼まれ、本紙も後援団体に。続いて「ポスターや入場券の印刷をお願いしたい」というので、普通の注文かと思っていたのだが〃好意〃を期待したものだった。 「学生さんが頑張っ ...
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ニッケイ新聞 2011年11月25日付け 神戸の小学生・小島華さんが夏休みに行った移民研究に、紙面で協力者を募るなど協力をした。 先日神戸から礼状が届いたと、協力者の親族から電話があった。彼は「華ちゃんとの連絡をありがとう。大変だったでしょう」と何度も労いと礼を繰り返した。それほどまで、と思わず面食らうほどの勢いだった。 ...
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ニッケイ新聞 2011年11月23日付け 11年度百歳表彰伝達式では、すらすらとこれまでの経歴を語る人ばかり—といっても、話し手は受賞者本人でなく、その子供達。親が来伯した船名や日にち、植民地を移った年を細かく覚えていることに驚かされた。 生まれた時から傍にいる親は近すぎる存在で、コラム子はさして過去に興味を持たなかった。恥 ...
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ニッケイ新聞 2011年11月22日付け 「楽しんでる?」「取材はどう?」と、とある取材中にくだけた言葉遣いで話し掛けてきたのは、15年間日本に住み、一昨年帰伯した19歳の男性(四世)だ。 彼の日本語は流暢だったが、19歳にもなってその口の利き方はないのではと感じてしまった。友達同士なら良いかもしれないが、初対面なら日本の社 ...
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ニッケイ新聞 2011年11月15日付け ブラジル初のBEGINのライブは大熱狂のうちに幕を閉じた。悔やまれるのは、本人達に直接インタビューができなかったことだ。 ドキュメンタリー収録を目的に来伯した彼らを独自取材することが難しいのはわかっていた。しかし記者会見すらも開かれなかったことは疑問に残る。 マネージャーに取材を申 ...
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