ニッケイ新聞 2009年12月22日付け カエル・プロジェクトが12日に開いたフェスタ・デ・ナタル。帰伯したデカセギ子弟100人が共にナタルを祝った。 そこで出会った萩原ビアンカちゃん(7)は、父親と離れ、母親、弟と9月に初めて帰伯。 行きのバスの中で、記者が日本語で話そうと促すと、「Eu falava o japones ...
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ニッケイ新聞 2009年12月19日付け コチア産業組合中央会時代のタツイ倉庫が、日本人の手に買い戻された。そこで行われた忘年会を5日、訪れた。 崩壊から15年。「当時金がなかったからね、丁度いい時期に競売に出て良かった」と胸をなでおろす井上茂則さん(68、愛媛)。真っ先に、残ったメンバーで作ったタツイ地方農業共同組合初代会 ...
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ニッケイ新聞 2009年12月18日付け 「こういう集まりはブラジルにはないから、面白いねえ~」 日本酒を片手に、ブラジル空軍の柴田アゴスチーニョ少将は嬉しそうな笑顔を見せた。 今月12日にあった戌年生まれの集まり「ワンワン会」の忘年会。63、75、87歳が仲良くワンワンと交歓した。 コラム子も末席を汚させてもらったが、 ...
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ニッケイ新聞 2009年12月17日付け 先週末、文協絵画教室の作品展を取材と共に、鑑賞してきた。と同時に、歳をとるにつれて絵の見方も変わったな、と感じた1日だった。 小学生の頃、画板と絵の具を持って近所のお寺に行った遠足のことを思い出した。当時は書くことが義務に感じられ一番に提出していたものだ。 大人の生徒たちと話をして ...
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ニッケイ新聞 2009年12月16日付け リベルダーデ広場周辺にある大手銀行支店を利用した日系男性が、店を出て帰社したところを襲われる事件が先日あった。 賊はビルまで入ってきて銃を突きつけたという。「どこに金を持っているかまで知っていた。銀行の中から連絡したんじゃないか」とその男性。白昼の出来事だけに他人事とは思えない。 ...
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ニッケイ新聞 2009年12月15日付け 靴とバッグのブラジルブランド「DUMOND」を取材してブラジルらしいコンセプトのデザインに惹かれ、日本ではまだ知られていないのではと、さっそく知人に教えた。 日本で人気のあるブラジル発のブランドと言えば、ビーチサンダルの「HAVAIANAS」やビキニの「ROSA CHA」などが思いつ ...
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ニッケイ新聞 2009年12月12日付け 建設会社から引き渡されて初めて〃自社ビル〃で開催された援協の医療シンポジウム。 記者が取材した1日目はわずか25人と寂しい人入り。せっかくパラー州はベレンからも講師を招いたのに、十分な体制が整っていなかったように思う。 援協は、福祉センター営業許可取得を待って引っ越すが、50年弱も ...
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ニッケイ新聞 2009年12月11日付け 豪雨が続いたサンパウロの空を眺めながら、映画評論家、故淀川長治氏の名調子を思い出した。 黒澤明監督の名作『羅生門』の冒頭シーンの雨の凄まじさを「あの雨、強いね、すごいね、日本の雨、アジアの雨ですよ」と語っていた。 雨の降り様で地域性を感じる、感じさせる両者の感性に感心するが、空を仰 ...
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ニッケイ新聞 2009年12月10日付け ラジオ体操にYOSAKOIソーラン、阿波踊りに傘踊り。日本の文化が集結した東洋祭り。振り返れば東洋市が開かれ、大阪橋周辺まで美味しい匂いが立ちこめる。 日本祭りをはじめ、各イベントでは各県の郷土芸能が一手に集まる。来伯して初めて見る芸能も数知れず。 こうした祭りでは代表的な日本文化 ...
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ニッケイ新聞 2009年12月9日付け 先月末の本紙に、重松愛子さんという女性の死亡広告が掲載された。その文中にあった夫の「重松萬太郎」という名を懐かしく思い出した人がいたかもしれない。 記者には重松氏のことが分からず、広告と共に娘さんが持参した昔の新聞記事で知った。 その文章は旧パウリスタ紙のコラム・星雲。戦前の在聖領事 ...
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