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コラム

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《ブラジル》米軍基地問題と沖縄戦後移民の不可分な関係

刊行を祝って乾杯

 戦後移民・山城勇さんの回顧録出版会を取材して「生きた歴史がここにある」と強く感じた。1943年に満州開拓青少年義勇軍に志願して大連の380部隊に派遣され、1年半で終戦を迎えた。玉音放送の直後、《上官たち数人が、部隊で飼われていた豚を、軍刀で片っ端から切り殺していく姿を目の当たりにした。良く見ると、豚は首半分切りの頭を引きずりな ...

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東西南北

 サンパウロ市の電車網では8、9日と立て続けにトラブルが発生しているが、10日付現地紙によると、サンパウロ市の地下鉄は、2014年から16年の間に、維持費と改善費を大幅に減らしていたという。維持費は14年の1億1千万レアルから4700万レアルへと57%減、改善費は4億900万レアルから1億6800万レアルへ59%減だったという。 ...

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大耳小耳

 俳誌『朝蔭』第447号が1月に発行された。《年送るリオの浜辺は人の波》(田村史子)は「浜辺」と「人の波」という組み合わせが絶妙。《元旦や東を拝す吾祖国》(三瀬孝子)も正月の厳粛な雰囲気を感じさせる一句。《畑打ちも死語となりゆく機械農》(身吉尚子)を読んで、「くわ・すきなどで畑を耕すこと」を意味する「畑打ち」は、もう使えない言葉 ...

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野球を通じて社会貢献

 先日、サンパウロ州の地方都市マリリアを訪れた際、文協運動場に六つの大野球場があり、宿泊施設や食堂も完備、遠征用バスも保有していると聞き、圧倒された。同野球チームは全伯最強だという。  さらに、市役所や小学校と提携し、無料バス運行や道具貸出、遠征費用の無償提供や補助まで行うというから驚く。だから、貧困層の家庭も安心して子供を預け ...

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東西南北

 8日、サンパウロ市の電車網は大荒れの1日となった。まず午前7時30分頃、地下鉄1号線のチラデンテス駅の線路に犬が侵入し、その影響で同線が止まったため、同線と連結する3号線の循環まで乱れて、1時間ほど減速運転を強いられた。続いて昼前に、今度は2号線で運行中の電車のひとつで扉が開かなくなり、その車両の乗客が降車を余儀なくされた。そ ...

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大耳小耳

 青森県弘前市とブラジル視覚障害者スポーツ連盟は、先月31日、20年東京五輪・パラリンピックの際に、ブラジルの障害者柔道チームの事前合宿を行うための協議を始める覚書に調印した。弘前市は、ブラジルに柔術を広めた故・前田光世(コンデ・コマ)の出身地。その縁から、同市が働きかけて実現したという。正式に決まれば、今夏にも強化合宿が行われ ...

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《ブラジル》テメル政権を来年まで続かせる詰めの一手

モラエス氏とロボン氏(Foto: Marcelo Camargo/Agência Brasil)

モラエス氏とロボン氏(Foto: Marcelo Camargo/Agência Brasil)  テメル政権は来年まで続きそうだ――年始は1年の政治の骨組みを作る時期であり、ムリヤリ一言でまとめるとそんな印象だ。その詰めの一手といえるのが、モラエス法相を最高裁に送り込む人事だ。これは将棋でいう「詰め」の感じがする▼最高裁は「閣 ...

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東西南北

 下院議長時代にラヴァ・ジャットの疑惑で渦中の人物となっていた頃から、自身の容疑を否定する際の迷言が目だっていたエドゥアルド・クーニャ被告が、またしても可笑しいような、腹の立つような発言をしていたことがわかった。それは7日にパラナ州連邦地裁のセルジオ・モロ判事に対し、「自分にも脳動脈瘤の疑いがある」と、先日他界したルーラ元大統領 ...

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大耳小耳

 コチア青年『会報』第37号が1月に発行された。「二世夫人から見たコチア青年」と言うコーナーを見ていたら《結婚前は「新婚旅行はリオに行こうネ」と話していましたが、結婚式のあくる日から畑が忙しく、バーゼンの収穫です。今でも口にすると「お前は日本に何回といったろう」と言います。私は「あれは新婚旅行ではない」と言います》とのやり取りが ...

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メキシコ革命に関わった日本人移住者=1906年に数百人が入植=セルヒオ・エルナンデス・ガリンド(訳:アルベルト・松本)=(下)=武術教えたり、大尉に抜擢も

北部師団の奇兵隊第一大尉の野中金吾氏、1915年12月(野中ヘナロ氏所蔵コレクション)

 しかし革命による闘争は激しくなる一方だったので、馬場氏はアメリカのカリフォルニア州カレシコ市へ数百人の移住者の受け入れを認めさせた。当時、カレシコ市の綿花農場は人手不足が深刻で多くの労働者を必要としていたのだ。  一方、多数の日本人移住者はメキシコに留まり、各地で編成された革命軍に入隊する者もいた。例えば、西野ツルオ氏は、パン ...

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