Deprecated: 関数 wpdb::escape は、バージョン 3.6.0 から非推奨になりました ! 代わりに wpdb::prepare() or esc_sql() を使用してください。 in /home/azevinho/nikkeyshimbun.jp/public_html/wp-includes/functions.php on line 6114
“表現の自由と戦中のトラウマ” の検索結果 – ページ 3 – ブラジル知るならニッケイ新聞WEB
ホーム | 検索結果: 表現の自由と戦中のトラウマ (ページ 3)

検索結果: 表現の自由と戦中のトラウマ

終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第12回=日本移民版「出エジプト記」

強制退去の様子を報じる『A Tribuna』(サントス)1943年7月10日付け(AESP)

 岸本昂一はこのサントス強制立ち退きを《大南米におけるわれらの「出埃及(エジプト)記」》(同42頁)と譬えた。 岸本のようなキリスト者にとって、ユダヤの民がモーゼに導かれてエジプトを脱出する苦難の歴史に匹敵する大事件であった。何千年経っても忘れない様に、ユダヤ人はその出来事を「旧約聖書」に刻み込んだ。 6500人もが追い立てられ ...

続きを読む »

終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第11回=サントス強制立退き令の悲劇

『戦野』初版の目次前半

 『戦野』は戦中のどんな〃ブラジルの機密を暴露〃していたのか――。 『戦野』の第1章1節の見出しのみを羅列すると「日ブラジル交断絶」「資金凍結下の苦闘」「日本語教育受難」「日本人農家五十家族立退命令」「市内の日本人、立ち退き命令」で13頁。2節「昔懐かしコンデ街」では、その歴史から立退命令まで9頁に渡って説明されている。 3節「 ...

続きを読む »

終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第10回=ブラジルの機密を暴露

暁星学園OB会で、昔を偲びながら勤労寮歌を合唱する皆さん

 「岸本さんは教育者的だった」と多くの人が印象を証言している通り、岸本昂一は1939(昭和14)年、日本の帝国教育会から在外日本人教育功労者表彰(1941年、『ブラジルにおける邦人発展史』下巻、204頁)を受けるほど熱心な教育者として知られていた人物だった。 その時選ばれたのは31人、安瀬盛次、上野米蔵、氏原彦馬ら早々たるメンバ ...

続きを読む »

終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第9回=二世公証翻訳人Yとは誰か

暁星勤労裁縫学校の1960年度卒業生の記念写真(前列中央が岸本)

 53年10月の国外追放裁判の第2審で無罪判決が下された後、《これで事件は完了していたものと思っていたところ、「貴下の帰化権が剥奪されることになつたから、至急異議申し立ての手続きをしなければならない」との知らせが弁護士からあった。これこそ全くの晴天の霹靂である。(中略)一片の予告、一言の抗弁の余地もなく、本人の全然知らない間に『 ...

続きを読む »

終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第8回=認識派新聞からの妨害工作

書斎で執筆中の岸本(『戦野』第三版)

 書名の〃戦野〃という言葉にどこか物々しい印象を受ける。第2次大戦では直接の戦場にならなかったブラジルなのに、日本移民には〃戦場〃だと感じさせる何かがあった。もちろん岸本が信仰するキリスト教プロテスタント「救世軍」が軍隊用語を用いていた影響も強いだろう。 1948年3月3日にDOPSが来て岸本が逮捕されて国外追放裁判が始まり、5 ...

続きを読む »

終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第7回=温厚な教育者と危険人物の狭間

「萩乃さんは苦労された」と語る青野カチエさん

 日本移民で唯一「国家の危険人物」として禁書にされた岸本の写真が、今も高々と掲げられている公的な場所がある。サンパウロ市の新潟県人会館入り口だ。岸本は1969年2月から71年1月まで第3代会長を務めた。創立会員の原沢和夫さん(88、新潟県、元援協会長)に岸本の印象を尋ねると「温厚な方です」と即答し、「でも苦労されたようですね」と ...

続きを読む »

終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第6回=家族にもタブーだった裁判

次男イサク(二世、当時77)とその妻節子さん(2011年4月16日撮影)

 暁星学園同窓会から岸本昂一について調べ始め、次々に興味深い事実が浮かび上がってきた。取材した卒業生は「岸本先生は永住論者、認識派だった」と口を揃えた。 ところが54年頃からパ紙で記者をしていた若松孝司さんは岸本の雑誌『曠野の星』に関し、「相当程度、影響力のあった雑誌だった。特に地方部の戦前移住者に対して。編集部内では、民族色の ...

続きを読む »

終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第5回=認識派新聞に伝わる〃伝統〃

2005年11月末に行われた暁星学園の同窓会にたくさん集まった卒業生

 岸本逮捕に関して伯字紙よりも早く報道にしながら、距離を置くニュアンスのパウリスタ新聞―。パ紙の創立は1947年1月であり、岸本逮捕はその翌年3月だ。 良く調べてみると、そもそも岸本逮捕の発端となったのがパ紙48年2月26日付けポ語頁にあるS・ミツタニ署名の「Um livro-salado japones que merece ...

続きを読む »

終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第4回=勝ち組叩きで名を挙げた翁長

翁長英雄が反勝ち組声明を上げるノイテ紙インタビュー記事

 翁長英雄の意見を大々的に報道した1946年4月10日付ノイテ紙記事の主見出しは「A Shindo-Renmei Prosseguira!」(臣道聯盟は突き進むだろう)。副見出しが「Um nipo-brasileiro fala」(日系ブラジル人は言う)になっている。 二世も含めて「ジャポネース」と一般的に表現されていた時代に、 ...

続きを読む »

終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第3回=伯字紙「最悪の人物」と報道

「ブラジルを侮辱する本」と報じた1948年5月15日付フォーリャ・ダ・ノイテ紙。なぜか写真は岸本次男

 当時の伯字紙を探すと主要紙が揃って岸本逮捕を報じていた。前年まで連日騒がせた臣道聯盟に関連した〃大事件〃と見られていた。 48年5月16日付コレイオ・ダ・マニャン紙は「ブラジルにたて突く本を書く」との見出しで岸本逮捕を報じ、「この日本人はこっそりとブラジルを攻撃、中傷する本を書いた」「ブラジル生まれの子供が何人もいる事から、法 ...

続きを読む »