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“日本移植民の原点探る” の検索結果 – ページ 4 – ブラジル知るならニッケイ新聞WEB
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検索結果: 日本移植民の原点探る

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (97)=続々と生まれる日系政治家=転機となった1960年前後

ニッケイ新聞 2014年1月7日 写真=郡会議員当時の柳沢嘉嗣ジョアキン、那須野秀男、前地豊(写真はみな『50周年記念写真帳』13頁) イグアッペ植民地と呼ばれた地域(桂、レジストロ、セッテ・バーラス)のうち、レジストロは1944年に市政を布き、続いてセッテ・バーラスもレジストロから59年に独立した。このように、日本移民が造成し ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (96)=戦後に呼び寄せ組合を創立=サンパウロ州移民再導入の先駆けか

RBBC初代会長だったシゼナンド・デ・カルヴァーリョ(『50周年記念写真帳』12頁)

ニッケイ新聞 2014年1月4日 いち早く連合青年会を1947年に発足させたのは、子弟教育が行き届いていないという焦りもあった。《レジストロ地方の子供が次第にカボクロ化してゆきつつあるのは事実だ(中略)町は一般に退廃的な点がうかがわれる。田舎での同化は退化と同義語といってよい》(『曠野の星』1954年2月、第22号、29頁)とあ ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (95)=勝ち負け最中にRBBC創立=コロニア最古の連合青年会

レジストロベースボールクラブの本部(同50周年記念誌の表紙)

ニッケイ新聞 2014年1月3日 〃お茶の都〃として名を馳せた水郷レジストロだが、戦後にコロニアで編纂された移民史からは、最初の永住志向集団地であるイグアッペ植民地やその創立者・青柳育太郎という存在はぼかされていった。しかし、地元では戦争中に海興が清算された後も、戦前からの命脈をしっかりと保ち、戦後初の日系団体を正式発足させ、8 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (94)=終戦7年目に敗戦を公言=「この道を通ったら殺す」

ニッケイ新聞 2013年12月19日  セッテ・バーラスにいた山根善信(よしのぶ)は「1946年後半、何かの用事でサンパウロに出た時、ドップスに捕まったことがある。タピライを通るバスで出て、ルス駅の近くに着いた。用事を済ませて、バス停で私と別の日本人が待っていたら、いきなり刑事に捕まって10日間もすぐ近くのドップスの監獄にぶち込 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (93)=「日本負けた」と馬鹿にされ=桂植民地にも勝ち負け余波

ニッケイ新聞 2013年12月18日  1945年6月6日、ブラジル政府はついに日本に宣戦布告した。同年5月にベルリンが陥落し、欧州戦線は終息。日本も沖縄戦をしている最中で、降伏は時間の問題と見られていた。つまり、連合国側について終戦交渉を外交的に有利な立場で行うためだろう。    ☆   ☆  1945年8月15日、植田(うえ ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (92)=実は不可能だった日本人収容=ドップス送り居なかった謎

ニッケイ新聞 2013年12月17日  レジストロに1917年から23年まで海興職員として駐在した原梅三郎は《あるときアメリカの〃シカゴ・トリビューン〃の記者がレジストロに遊びにきたことがあったが、その記者がシカゴに帰っての発表は、「日本人はサンパウロ州南部カナネイア港に、海軍根拠地をつくる目的で、そのちかくに植民地を設けつつあ ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (91)=岡本に亜国から転住の誘い?=サンパウロ州農業生産の6割占める

ニッケイ新聞 2013年12月14日  トリブナ43年7月16日付けには《陸軍予備役将校が海岸部の警察署へ》との小さな記事が出た。イグアッペ郡にも触れており、国家保安局のコリオラノ・デ・ゴイス(Coliolano de Gois)が海岸部を視察した後、この地域の治安の重要性を鑑み、陸軍予備を警察署長に任命した件が報じられている。 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (90)=立ち退き令から特別に除外か=なぜか日系集団地を市制化

ニッケイ新聞 2013年12月13日  小野一生は強制立ち退き関し、特に詳細な記憶を持っている。「戦争中、海岸部立ち退き命令が出たとき、5人の地元ブラジル人政治家が、リオのヴァルガスを訪問して、『レジストロは日本人が拓いた町だから、日本人を立ち退かせたら町が立ち行かなくなってしまう』って訴えたと聞いている。それに対し、ヴァルガス ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (89)=なぜかイタリア系退去不要?!=「日本人は全て失ってしまった」

ニッケイ新聞 2013年12月12日  トリブナ紙43年7月9日付けを見ると、海岸地帯からの強制退去命令を出したのは、サンパウロ州保安局(Ordem Politica e Social、ドップス)の専務ヴィエイラ・デ・メーロ少佐、アフォンソ・セルソ・デ・パウラ・リマ理事で「国家治安」を理由としている。潜水艦攻撃に味方するスパイ活 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (88)=イグアッペ郡も立ち退き検討=あわや桂植民地も追放寸前

ニッケイ新聞 2013年12月11日 トリブナ紙43年7月11日付け同紙には、ドップスのルイス・タヴァーレス・ダ・クーニャ捜査官が海岸地帯20カ所の視察を終えて、サントスに戻ってきたことが報じられている。《メーロ少佐の命令を実行するために、500キロの海岸線にいる日本人とドイツ人の600家族を退去させた》とあり、さらに《8千人の ...

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