スザノ市福博村会(高木政親会長)は25日午前11時半、『福博村会創立80周年記念祭』を同会会館で行い、村会関係者、創立会員家族ら約120人が集まった。先没者黙祷、両国国歌斉唱の後、記念碑の除幕式が行われた。「福博」と刻まれた石碑がお披露目されると、参加者は拍手で盛大に祝福した。 高木会長が挨拶に立ち、「村会80年を迎えるに当た ...
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大耳小耳
諸川有朋さんがまとめた冊子『日本人の特質』は、初版1500部が完売した。修養団150冊、盛和塾120冊、アルモニア学園100冊、ノロエステ連合文協70冊、ブラジリア日本語普及協会70冊と大口注文が相次いだことが要因だ。サンパウロ州以外、北伯など営業活動していない〃未開の地〃も多いらしく、年内一万冊という目標もあながち不可能では ...
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文協大講堂の改修により、会場変更を余儀なくされた藤間流日本舞踊学校による第54回踊り初め。来場者からは「体育館を改修して、思ったよりも立派な会場になっていた」「大講堂でやればもっと踊りが映えたと思う」といった意見が。会主の芳誠さんは「お客様から『雰囲気が出ていて普通よりも良かった』といった好評を頂いた。時間通り進行でき、空調も ...
続きを読む »パウリスタ延長線戦後史1=子孫にとっての勝ち負け抗争=(2)=扇情的なモライスの著作=勝ち組子孫に大ショック残す
1946年当時の伯字紙は連日「臣道聯盟はテロ集団だ」と報じ、その悪印象が根強く残ってしまった。そのため多くの臣聯関係者がその件を心にしまい込み、きちんとした事実関係を子孫に伝えてこなかった。加えて、勝ち負け抗争という未曽有の出来事に際し、「臭いものにフタ」という日本的な態度でコロニア指導者は対処してきた。 その結果、「臣聯=愛 ...
続きを読む »島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一=(3)=有罪は決行犯ら十数人のみ=信念不変の人を多数送致
私達が島で生活した頃は、墓地の周囲には形ばかりではあるが柵と十字架があった。その後、半世紀程して機会があり、山下博美君と島を訪問する事があり、墓地に行った。訪れる者もないのか、草木は茂り十字架も柵も朽ち、レトニア人ばかりではなく、囚人も埋まっている筈だったが、ただ雑草の中に白骨が転がっているだけだった。国を追われた人達、罪を犯し ...
続きを読む »第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(58)
ニッケイ新聞 2013年8月3日 またも日本人狩り 死亡1、未遂1という事件に、検挙千数百人というのは、馬鹿馬鹿しいほどの多さであった。 この程度の事件に、それだけの人数が関係することなど、物理的にも絶対ありえない。 しかも容疑を明示しての逮捕ではなかった。一方的に、高圧的に荒々しい言葉で、追い立て、留置場に追い込んだの ...
続きを読む »第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(47)
ニッケイ新聞 2013年7月19日 また、臣連は、終戦で利敵産業防止運動は必要なくなったため、止めていた。同時に秘密結社から公開団体へ切り換えていた。 事業目的も「大東亜共栄圏への再移住」に変えていた。大東亜共栄圏は、日本の敗戦で雲散霧消していたが、臣連は戦勝説をとっており、健在であると信じていた。 戦勝説、大東亜共栄圏へ ...
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ニッケイ新聞 2013年1月10日付け 各会場で約100人を超す参加者があるブラジル修養団の講習会。スタッフとして運営の補助を行うのは、過去の講習会に参加した17歳以上の有志OB・OGなのだとか。桜井会長も「講習会で学び、成長した先輩たちが、後輩のために戻ってきてくれるのは本当にありがたい」と目を細める。これも「人間づくり」の ...
続きを読む »ファトスBJ発売=191号
ニッケイ新聞 2011年12月3日付け 日系写真画報「FATOS BJ」191号が発売された。 「池坊550周年に向かって」、2011年度春の叙勲、白寿者表彰式、第46回コロニア芸能祭、ブラジル沖縄県人会創立85周年記念祝賀式典、ブラジル修養団創立40周年記念大会、第33回たなばた祭り、豊田豊展など。 一冊15レアル。リベ ...
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ニッケイ新聞 2011年9月10日付け 岩崎久弥によって東山農場が1927年に開始され、後に東山銀行などにも発展し、それがブラジル三菱銀行の前身となった。一方、政府系の横浜正銀が1919年にリオ支店を開設し、戦後に当地の東京銀行になった。その二つが合併してブラジル東京三菱UFJ銀行になったことは記憶に新しい。ちなみにブラジル東 ...
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