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検索結果: 日本移植民の原点探る

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (77)=南聖でコロニア初の写真帳=馬にカメラ積み小道抜ける

ニッケイ新聞 2013年11月26日  レジストロ植民地は1927年時点で、全面積1万7636ヘクタールを557ロッテに分け、五つのバイロ(部)に区分し、うち510が埋まっていた。約8千人の人口のうち、日本人と日系人は3651人と46%を占め、半数近かった。市街地にはアルマゼン海興のほかに出利葉商会、菅山商会など21の商業施設が ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (76)=二世「明日のブラジル市民」=なぜか好意的なメディア王

ニッケイ新聞 2013年11月22日  北島弘毅は1932年4月発行の現地雑誌『先駆』第8号に、日本人教師が児童に日本語で挨拶するよう教育している背景には、《日本人は日本領土内では「オハヨウ」なんだ》という意識があることを鋭く指摘し、当時の〃日本人村〃や「植民地」という言葉の中には「日本の領土」的な意識があったことを手厳しく批判 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (75)=台頭する二世のブラジル側視点=北島弘毅らインテリの流れ

ニッケイ新聞 2013年11月20日  イグアッペ植民地における新教徒プロテスタントの嚆矢は、日露戦争で軍医として活躍した後、渡伯した北島研三医師だった。日本からの聖公会信者といわれ、夫人が1922年から自宅で日曜学校を開き、新教徒の集まりの端緒となったが、夫の病死と共に解体してしまったようだ。  力行会会員でもあった聖公会の伊 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (74)=親は仏教、子はカトリックに=教会が醸し出す融和の雰囲気

ニッケイ新聞 2013年11月19日  最初の植民地だけに、つねに排日の矢面に立たされるつらい境遇に置かれていた。そのゆえ、カトリック信徒になることは、「異分子」扱いされやすい社会的抑圧を中和するための大事な手段であった。  桂植民地に住んでいた柳沢嘉嗣(よしつぐ、89、二世)=イグアッペ在住=は「桂には小学3年までしかなかった ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (73)=長野、教会、米、バナナ=本間剛夫 日本初の勝ち負け小説

ニッケイ新聞 2013年11月14日  那須野秀男さん(83、二世)=レジストロ在住、3月取材=も両親が長野県出身で1918年に〃信濃村〃第4部に入植した草分け組だ。  「長野では『ブラジルには金のなる木がある』って宣伝があったんですよ。だから長野からまとまって来た」。教会の第2期工事の真っ最中、1929年11月に那須野さんは生 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (72)=最古の日系カトリック教会=不思議な政治的設立経緯

ニッケイ新聞 2013年11月13日  通常の日系カトリック史において、ノロエステ線プロミッソン植民地のゴンザガ地区に、1934年に落成献堂されたクリスト・レイ教会(正式名称=キリスト王日本二十六聖人天主堂)に脚光が当たることが多い。この点においても、レジストロは正史から抹消された歴史がある。  長崎二十六聖人の名を冠したこの教 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (71)=平生レジストロに大土地購入=通商強化で関係再編目指す

ニッケイ新聞 2013年11月12日  第46回で紹介した通り、1920年当時、唯一の本格的植民地だったイグアッペが排日派議員の非難の的となり、1923年10月には1回目の排日法提案がレイス下院議員からあった。でもイグアッペはその批判に耐え、サンパウロ州選出議員の反対で可決されなかった。だから20年代の移住地建設ブームが起きた。 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (70)=まるで内地のような政策=平生が乗り出し宮坂送る

ニッケイ新聞 2013年11月7日  《現在の「ブラ拓」移住地と称するものは、全部田付理事長時代に、梅谷氏の手によって、基礎付けられたというべきであろう》(『先駆者列伝』129頁)。梅谷は移住地を南米に分散させる主張をもっており、パラグアイにも43万町歩を購入して5千戸を移住させる計画を進めていた。  日本国内のように振る舞う内 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (69)=軋轢生む外務省と内務省=東京都並面積を7カ月で購入?!

ニッケイ新聞 2013年11月6日  移民送り出しは元々、外務省が主管する事業だったが、徐々に内務省が力を持つ流れとなり軋轢が生まれていった。  イグアッペ植民地の〃造反組〃が中心となった1924年の信濃海外協会による第1アリアンサ創設は成功し、瞬く間に鳥取が第2、富山が第3、熊本が隣接地のビラ・ノーバという具合に拡大した。これ ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (68)=海興から手を引く青柳、水野=パラナに羨望のまなざし

ニッケイ新聞 2013年11月5日  青柳育太郎は海興重役に留まったが、最終的に《二十四年に至って青柳は帰国したが、その後意見の相違から辞任、東京シンジケート以来からの植民事業の鬼もこれから絶縁する事になった〜》(『60年』14頁)とある。ブラジル側では「青柳は負債問題解決のために帰国し、移植民が納得するような解決策をとれなかっ ...

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