12月16日(火) 一九四五年八月一日。バストス市(SP)郊外のモンテアレグレ移住地で青年団発行の会報、「ANDES(アンデス)」が産声を上げた。B5判で手書きによる五十ページほどの小冊子で、子弟の日本語教育を目的にしたものだった。 『本誌は絶対に外人の目に触れざる様に』、『一覧後は、特に保管者の許可なき限り貸出は許さず』な ...
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消えなかった日本語教育=戦中、戦後の日系社会混乱の中で(4)=「村の日語校再開させたい」=大浦さん=警察の副署長に直訴
12月13日(土) 日本は戦争に敗れて、焦土と化した。祖国に帰れないなら、ここ(ブラジル)に古里をつくろう――。 戦後間もなくのスザノ福博村。村内の日系人宅を一軒一軒歩く二十歳そこそこの青年がいた。「日本語学校を再開させたいのですが、子供を通わせてくれますか」。警察当局を恐れる保護者をなだめては、生徒の確保に奔走した。 「 ...
続きを読む »消えなかった日本語教育=戦中、戦後の日系社会混乱の中で(3)=戦勝派の家族に食料援助=飯田さん=「私は〝灰色〟貫いた」
12月12日(金) 「私は、どちらの側にも属さない〃灰色〃を貫いた。移民史は認識派を中心に書かれているが、戦勝派が悪いとは思いません」 飯田静子さん(九〇、香川県出身)=サンジョゼ・ドス・カンポス市=はポンペイア市郊外のコレゴ・フツーロ植民地で財を成し、一九三〇年代後半、同市内に借家を三軒建築。うち一軒を認識派の地方有力者に賃 ...
続きを読む »消えなかった日本語教育=戦中、戦後の日系社会混乱の中で(2)=戦後初の私塾の開設者=安藤さん=非合法経営不安だった
12月11日(木) 「戦後初めての私塾は、私が開けたのですよ」 サントス厚生ホームの居室で、九十二歳の老女が静かに口を開いた。入所者の中でも年長者に入るが、物腰はしっかりとしており、言葉の端々に教育者の威厳が漂う。 旧双葉学園(現サウーデ日語学校)の創立者で八十八歳まで教壇に立った。 安藤富士枝さん(岐阜県出身)は三四年 ...
続きを読む »消えなかった日本語教育=戦中、戦後の日系社会混乱の中で(1)=授業初日に当局踏み込む=国井さん=父と兄はアンシェッタ島へ
12月10日(水) 授業初日に警察当局が踏み込んできて日本語学校は閉鎖、教室を提供したという理由で父と兄は身柄を拘束され、その後アンシェッタ島に流された──。 国井精(つとむ)さん(二世、六六)は、一九四六年四月二日夜の出来事が五十七年経った今でも頭から離れない。 働き手を失った一家では、まだ幼い兄弟が母親を支えて、農作業 ...
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