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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ

セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(終)=尽きぬこの旅の魅力=不毛の大地の変化、世代交代

4月17日(木)  ふるさと巡りも今回で十七回目。サンパウロからブラジリア、パラカツ、ピラポーラ、カルモ・ド・パラナイーバ、そしてサンゴタルドまで、二台のバスは中部高原二〇〇〇キロを走り抜けた。サンゴタルドで日系人の訪問を終えた一行は、温泉の町アラシャーで旅の疲れをいやす。  宿泊したのはトロピカル・グランデ・ホテル・アラシャー ...

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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(5)=コチア参産組入植呼びかけ=サンゴタルド モデルケースに

4月16日(水)  カルモ・ド・パラナイーバから八十キロ。一行はこの旅最後の訪問地、サンゴタルドに到着した。  ふるさと巡りの旅行中、行く先々で「コチア」の名を耳にした。  パラカツ、ピラポーラ。そしてサンゴタルド。ふるさと巡りの一行が訪れたこの地こそ、コチア産組が手がけたセラード開発事業の始まりだった。  一九七三年、コチア産 ...

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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(4)=日本人が築いたコーヒー地帯=C・ド・パラナイーバ 霜害避け未知の地へ

4月15日(火)  移民とカフェ。コーヒー園のコロノとしてブラジルに渡ってきた初期移民の時代から、日系人にとってコーヒーは特別な意味を持ちつづけている。今では国内有数のコーヒー生産地帯となったセラード。その陰にも日系人の苦闘があった。  ピラポーラ訪問の翌朝、一行はカルモ・ド・パラナイーバへ。細く、曲がりくねった低木がぽつぽつと ...

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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(3)=ぶどうから新しい果樹へ=ピラポーラ 大河利用の農業

4月12日(土)  パラカツから西へ三百キロ。一行はサンフランシスコ川流域の町、ピラポーラ市に到着した。川を臨むレストランで地元のスルビ料理を楽しむ。翌朝、市内から十二キロ離れた「ピラポーラ潅漑プロジェクト」の現場へ向かった。  ミナスを縦断して東北部バイア州に注ぎ込む大河、サンフランシスコ川。この川の流域には、ジュアゼイロ、ペ ...

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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(2)=パラカツ、地盤築く=入植後26年 最盛期の半数60家族

4月11日(金)  ブラジリア訪問の翌朝、一行は次の目的地、ミナス州パラカツ市へ向かった。ブラジリアから約二百三十キロ。途中で休憩のため、クリスタリーナに立ち寄る。その名の通りかつては水晶の採掘で栄えた町だ。  バスが停まると、そこには十数人の宝石売り。首飾りや指輪、原石を手に商売を始める。ふるさと巡りの一行も値段の交渉に余念が ...

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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(1)=美質を次世代に残したい=首都の長老の願い

4月10日(木)  県連主催「第十七回移民のふるさと巡り」が一日から七日まで実施された。今回の訪問地は、ブラジリアとミナス・ジェライス州南部のセラード地帯。かつて不毛の地と呼ばれたこの地域は、一九七〇年代後半に始まるブラジル内陸部の開発によって、世界有数の穀倉地帯に姿を変えた。新天地を求め移り住んだ現代の開拓者たち。そこには多く ...

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