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2003年

本紙記者がのぞいた=亜国日系社会は今―4―アナウンサー・俳優・編集長=三足のわらじ 高木さん=健啖と饒舌は老いを知らず

7月1日(火)  「忙しいから、三時間しか寝ないですよ。でも居眠りも多いから五時間は寝てるかな」と高笑い。  アルゼンチン唯一の邦字紙「らぷらた報知」の名物編集長、高木一臣氏(七八歳)である。  その健啖と饒舌は老いを知る事なく、隻眼となっても日系社会に厳しく、優しい視線を送り続けている。  平日は朝の五時から、国立放送局対外放 ...

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移住坂 神戸と海外移住(9)=予防注射は嫌われたが=熱心だったポ語の勉強

7月1日(火)  四日目になると、取材の神戸又新日報の記者も慣れてきた。この日、収容所出口に「外出禁止」と書いた立て札が掲げられた。無断外泊者が多かったためだ。外出できなくなった若者たちは、時間を持て余し、夜遅くまで笛や尺八を吹いている。  洋式便所の使い方がわからず、前後反対に使用し「ズボンをすべて脱がなければ用を果たせない」 ...

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本紙記者がのぞいた=亜国日系社会は今―3―=市民の憩いの場 日本庭園=積極的にイベント開催

6月28日(土)  亜日本文化財団(コサカ・カズモリ会長)は七日午前十時から、市内パレルモ地区にある日本庭園で「第一回秋祭り」を開催した。  晴天も手伝ってか、関係者の予想を大きく上回る二千五百人以上の来場者を迎え、ポルテーニョ(ブエノスアイレスっ子)たちが、日本文化に触れる一日となった。  茶道や空手、太鼓など一般的に知られた ...

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移住坂 神戸と海外移住(8)=憎まれ役だった医官=食堂は火事場のような騒ぎ

6月28日(土)  移民収容所第一期生の収容所生活が始まった。全国から集まった五百八十一人の移住者の受け入れは、所員にとっても初めての経験で、とまどうことばかりだ。生活習慣、考え方、年齢も異なる大集団だ。大食堂での食事が始まった。一回の食事で消費する米は「四斗炊き蒸気釜二回分と一斗炊き計九斗」だ。  副食は、牛肉と馬鈴薯にねぎの ...

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本紙記者がのぞいた=亜国日系社会は今―2―=同朋救済や移民史編纂=在亜日系団体連合会=日系社会の調整役

6月27日(金)  在亜日系団体連合会(FANA・石川フリア会長)は、在亜日系社会の代表機関として、所属団体の機能調整役を果たす連合組織体である。  『アルゼンチン日本人移民史』によれば、亜国内の日本人会として、一九一〇年代には鹿児島県人会と沖縄県人会がすでにあったという。  県人会の枠を越えた最初の総合日本人団体「大正会」が発 ...

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移住坂 神戸と海外移住(7)=移民宿から収容所へ=開所日、乗用車で乗りつけた

6月27日(金)  七十七歳の老婆や洋行気取りの若夫婦 五百八十一名が押しかけた国立移民収容所 店開きの好況」、一九二八年三月十日午前九時に開所した移民収容所を報道した「神戸又新日報」(三月十一日号)の見出しである。  日本全国から神戸に集まってきた移住者の最年長は高知県出身の七十七歳の婦人、最年少は生後三ヶ月の乳児で、家族移住 ...

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本紙記者がのぞいた=亜国日系社会は今―1―=アルゼンチンの仙人=人里離れて40年=75歳の広島県人=人生の切ない終着駅

6月26日(木)   【ブエノスアイレス・堀江剛史記者】アルゼンチンの北方、ブラジルと国境を接し、イグアスの滝を有するミッショネス州。この地に四十年以上に渡って、原始的?な生活を続けている広島県人がいる。現地人からは「JAPON(ハポン)」と呼ばれているその老人は一九二七年生まれの赤尾辰巳さん。地元邦字紙らぷらた報知などに掲載さ ...

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移住坂 神戸と海外移住(6)=収容所と対象的な建物=上流階級の「トア・ホテル」

6月26日(木)  「三ノ宮駅から山ノ手へ向かう赤土の坂道(中略)が丘に突き当たって行き詰まったところに、黄色い無装飾の大きなビルディングが建っている。後ろに赤松の丘を負い、右手は贅沢な尖塔をもったトア・ホテルに続き、(中略)丘の上の是が『国立海外移民収容所』である。」(『蒼氓』石川達三)。  神戸の高台に並んで建つ二つの建物、 ...

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移住坂 神戸と海外移住(5)=温く受け入れた神戸市民=「移民さん」身近な存在

6月25日(水)  地元の総力を挙げての誘致運動が功を奏した国立神戸移民収容所が、昭和三(一九二八年)三月に開設されたことにより、日本全国から移住者が神戸に集まる仕掛けが出来上がった。  移民収容所は、神戸への集客装置であるとともに、神戸に寄港する移民船に安定的に乗客を提供するという意味でも、神戸の町と神戸港の発展に貢献した施設 ...

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移住坂 神戸と海外移住(4)=国立移民収容所の業務開始で=移民宿の経営深刻に

6月24日(火)  生粋の神戸っ子でも「城ケ口筋(じょうがぐちすじ)はどこにあるか」と聞かれてすぐ答えられる人は少ない。だが、震災前には「かき十」という牡蠣専門料理屋があったあの道、といえばたいていの人は知っている。元町駅から鯉川筋を北へ、山手幹線を越えて急に細くなるあの坂道、今は地図に「城ケ口」の地名は見当たらず、わずかに交番 ...

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