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2003年

ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(3)=「目立たぬように―」=1940年暴動 覚めやらぬ恐怖

4月25日(金)  ペルーにおける日系移民の歴史は、ブラジルに先立つこと九年前の一八九九年、第一回移民船「佐倉丸」に乗り込んだ七百九十人によって始まっている。  初期ペルー移民の多くが風土病に倒れ、また異なった環境で悲惨な耕地生活を送ったことは『在ペルー邦人七十五年の歴史』(ペルー新報社)などに詳しい。  様々な迫害や差別を乗り ...

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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(2)=「フジモリ時代が懐かしい」=意外に多い支持派庶民

4月24日(木)  リマのホルヘ・チャヴェス空港に近づいた飛行機の安全ベルトのランプが点滅するころ、人口八百万の都市は機内客の眼下にその姿を見せる。夜景の美しさと昼の荒涼たる風景はあまりに対照的だ。  色彩に欠けた街を見下ろすようにそびえる岩山、サンクリストバルの丘は標高四百五十メートル。電波塔があるため、日系移民からは電信山と ...

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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(1)=血と地の宿命の中で=懊悩する日系社会

4月23日(水)  南米で初めて日本からの移民政策がとられた国、ペルー。日本移民の歴史が始まって九一年目の一九九〇年六月、日系二世の大統領、アルベルト・フジモリが誕生した。この未曾有のニュースに世界中が注目し、日本はフジモリ現象といわれるほどの熱狂振りを見せた。しかし、十年後の〇〇年に大統領の日本逃亡という誰もが予想しなかった最 ...

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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(終)=尽きぬこの旅の魅力=不毛の大地の変化、世代交代

4月17日(木)  ふるさと巡りも今回で十七回目。サンパウロからブラジリア、パラカツ、ピラポーラ、カルモ・ド・パラナイーバ、そしてサンゴタルドまで、二台のバスは中部高原二〇〇〇キロを走り抜けた。サンゴタルドで日系人の訪問を終えた一行は、温泉の町アラシャーで旅の疲れをいやす。  宿泊したのはトロピカル・グランデ・ホテル・アラシャー ...

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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(5)=コチア参産組入植呼びかけ=サンゴタルド モデルケースに

4月16日(水)  カルモ・ド・パラナイーバから八十キロ。一行はこの旅最後の訪問地、サンゴタルドに到着した。  ふるさと巡りの旅行中、行く先々で「コチア」の名を耳にした。  パラカツ、ピラポーラ。そしてサンゴタルド。ふるさと巡りの一行が訪れたこの地こそ、コチア産組が手がけたセラード開発事業の始まりだった。  一九七三年、コチア産 ...

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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(4)=日本人が築いたコーヒー地帯=C・ド・パラナイーバ 霜害避け未知の地へ

4月15日(火)  移民とカフェ。コーヒー園のコロノとしてブラジルに渡ってきた初期移民の時代から、日系人にとってコーヒーは特別な意味を持ちつづけている。今では国内有数のコーヒー生産地帯となったセラード。その陰にも日系人の苦闘があった。  ピラポーラ訪問の翌朝、一行はカルモ・ド・パラナイーバへ。細く、曲がりくねった低木がぽつぽつと ...

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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(3)=ぶどうから新しい果樹へ=ピラポーラ 大河利用の農業

4月12日(土)  パラカツから西へ三百キロ。一行はサンフランシスコ川流域の町、ピラポーラ市に到着した。川を臨むレストランで地元のスルビ料理を楽しむ。翌朝、市内から十二キロ離れた「ピラポーラ潅漑プロジェクト」の現場へ向かった。  ミナスを縦断して東北部バイア州に注ぎ込む大河、サンフランシスコ川。この川の流域には、ジュアゼイロ、ペ ...

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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(2)=パラカツ、地盤築く=入植後26年 最盛期の半数60家族

4月11日(金)  ブラジリア訪問の翌朝、一行は次の目的地、ミナス州パラカツ市へ向かった。ブラジリアから約二百三十キロ。途中で休憩のため、クリスタリーナに立ち寄る。その名の通りかつては水晶の採掘で栄えた町だ。  バスが停まると、そこには十数人の宝石売り。首飾りや指輪、原石を手に商売を始める。ふるさと巡りの一行も値段の交渉に余念が ...

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ペルー 南米初の日本人入植地=あぁカニエテ耕地(下)=誇りとルーツを見直す場=ペルー日系人の心の故郷

4月11日(金)  【リマ発】今年三月九日にカニエテの慈恩寺で彼岸法要が営まれた。読経が響く中、昼食が用意されている中庭である一世婦人に出会った。 「お経聞いたら、お腹が空いた」。 直江春子さん、九十歳。一九三三年、二十一歳の時にカニエテの近くのマラ耕地に入植する。写真婚であった。  「着いた当時は泣きましたよ。はい。結婚するの ...

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セラードの日系人=ふるさと巡り、中部高原へ(1)=美質を次世代に残したい=首都の長老の願い

4月10日(木)  県連主催「第十七回移民のふるさと巡り」が一日から七日まで実施された。今回の訪問地は、ブラジリアとミナス・ジェライス州南部のセラード地帯。かつて不毛の地と呼ばれたこの地域は、一九七〇年代後半に始まるブラジル内陸部の開発によって、世界有数の穀倉地帯に姿を変えた。新天地を求め移り住んだ現代の開拓者たち。そこには多く ...

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