2003年
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東方に生きる~ウルグアイ日系社会事情(1)=初めて皇室の一員迎えて=一世ら「感無量です」
12月2日(火) 日本から飛行機で約三十時間――。ブラジルとアルゼンチンの間に位置する南米の小国が持つ正式な名前を知る人は少ない。ウルグアイ東方共和国。その名の通り、大陸東部にある国土の大半は、牧草
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近年の日本文学出版ブームに足かせ=日ポ翻訳者が足りない=(上)=UNESPがシンポ開催=もっと大学に養成講座を
12月2日(火) もっと日本文学を出版したいのですが、良い翻訳者が足りません――。二十八日午後、サンパウロ市立マリオ・デ・アンドラーデ図書館で行われた日ポ翻訳者養成に間するシンポジウムで、出版社側か
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〝正しい農業〟=横森正樹さんの熱い思い=4=ブラジルは最後の食料基地=すばらしい時代が来る
11月29日(土) 日本には木しか資源がない。それを使った炭で土壌を改良して使っている。長野県の農畜産物を、炭を使ってブランド化したらいいと県知事にも提言しました。うちでは五~十年後には輸出する予定
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〝正しい農業〟=横森正樹さんの熱い思い=3=冷夏でも野菜できた=土作りの原点忘れなかったから
11月28日(金) 還暦を越えた今、これからの人生、恩返しをしなくては。月に二~三回、日本で講演活動してます。全て手弁当でやっている。この気持ちを忘れないでやっていきたい。何度でもブラジルへ飛んでき
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〝正しい農業〟=横森正樹さんの熱い思い=2=「近代農業」からの脱却=いい土作るためにいい堆肥を
11月27日(木) 昭和五十年に農業を始めた頃は、日本も機械化が進んだ時期だった。他人が捨ててあった耕耘機を一台拾ってきて、十万円かけて修理し、土地も少なかったから、人が見向きもしないような土地を借
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〝正しい農業〟=横森正樹さんの熱い思い=1=野菜づくりでバラ色の人生=儲かって将来性がある
11月26日(水) 二十日午後に文協小講堂で開催された横森正樹さんの講演内容をもとに、著書『夢の百姓「正しい野菜づくり」で大儲けした男』(白日社、二〇〇二年)を参考にしながら、「農業は儲かる! そし
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―最終回=トートーメー 先祖を祀る聖域=沖縄独特の様式美継承
11月22日(土) 一九五六年、中学二年でブラジルに移住した具志堅克珍さん(六一、沖縄県出身)は、サント・アンドレー市パルケ・ジャサトゥーバ区バトゥリテー街で注文家具屋を営んでいる。克珍さんが三歳の
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(9)=ギター=特別な音感を持つ名器=有名音楽家に磨かれて
11月21日(金) 「音の職人は板前のよう。どういう道筋で組み立てるかで、中華風、和風と味が変わる」。サンパウロ市ジャルジン・オリエンタル区ジュリパリ街の工房で語る杉山重光さん(六三、静岡県出身)の
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(8)=日本庭園=10年後の姿を念頭に=侘び寂びの微妙な釣合い
11月20日(木) 造園業に携わって三十年、スザノ市在住の石橋弘善さん(五七、二世)は、サンパウロ州内はもとより、遠くはポルト・アレグレ市まで、庭園造りに飛び回る。ピラシカーバ農大を卒業、一九七四年
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(7)=空手6段、人形は師範=大柄な体で繊細な作業
11月19日(水) サンパウロ市サウーデ区マウロ街の塩田健康センター所長、塩田憲一さん(五六、神奈川県出身)。一九七四年、二十七歳の時に渡伯した理由の一つが、「日本人形を普及するため」だった。七五年