5月11日(火) 「今、日本語の授業は結構やりにくいんですよ」 織田順子サンパウロ大学日本文化研究所所長は、少々頭を痛めている様子だ。 哲学・文学・人文学部に入学した学生は一年間、まず一般教養を学ぶ。二年目に本人の希望とレベルで専攻を決定。日本語がカリキュラムに組み込まれてくる。 もちろん、授業は「あいうえお」のひらが ...
続きを読む »教科書 時代を映して変遷
教科書 時代を映して変遷(18)=USP日本語講座開設=客員教授ら文法入門を刊行
5月8日(土) サンパウロ大学(USP)の構内に入って、十分ほど歩くと左手に地下一階地上三階建ての建物がみえる。日本文化研究所(=Centro de Estudos Japoneses、織田順子所長)だ。 エルネスト・ガイゼル元大統領と田中角栄元首相が取り決めた日伯共同事業のひとつとして、一九七六年四月に竣工した。 USP ...
続きを読む »教科書 時代を映して変遷(17)=州立校では初の試み=レジストロ日本語が選択科目に
5月7日(金) 「これは、何ですか?」「それは、しっぽです」「これは、何のしっぽですか?」「それは、ぞうのしっぽです」 サンパウロ市から西南に百八十九キロのレジストロ市。三月十二日午前、州の外国語センター・ヒロシ・スミダで、州立校に通う児童・生徒二十人ほどが、日本語を学んでいた。 八九年に、日本語を選択科目として取り入れた ...
続きを読む »教科書 時代を映して変遷(16)=視覚に訴えるテキスト=現代っ子のニーズに合わせて
5月6日(木) マウリシオ・ソメソザリさん(一八)は日伯文化連盟(=アリアンサ、槙尾照夫会長)で学び始めて二年になる。 八年前にテレビで「セーラームーン」を見たことがきっかけで、アニメやマンガに関心を持つようになった。「セーラームーンはギリシャ神話について触れているのが魅力です」。 初めのうちは、挿絵だけを眺めて楽しんでい ...
続きを読む »教科書 時代を映して変遷(15)=高評価、よく売れる=橿本さんの『きそにほんご』
5月5日(水) 今、コロニアで一押しの教科書といったら、おそらく『きそにほんご』だろう。 一九九五年一月に第一巻の初版千冊が発売された。同年三月までに売り切れ。現在七版目に入った。毎年、千二百冊が売れ、好調を維持する。 編集者はプレジデンテ・プルデンテ市(SP)在住の橿本洋子さん(六三、山西省出身)。 当地の日本移民の歴 ...
続きを読む »教科書 時代を映して変遷(14)=日本語能力低下に対処=文協が講座を開設
5月4日(水) 「留学生・研修生の日本語能力が、低下している」 九〇年代初め。日系二世、三世自身の間から、そんな危機感が大きくなる。 都道府県の多くは、年間一人当たりに数百万円を歳出して、留学生・研修生を受け入れている。日本語が分からず、初期の目的を達成出来なかったというケースが出始めたのだ。 日本側は〃投資効果〃が上が ...
続きを読む »教科書 時代を映して変遷(13)=日語学校の生存競争=激動90年代、学習者減る
5月1日(土) 「日本語教育が最も動いた時期ではないだろうか。言わば激動の時代です」 丹羽義和ブラジル日本語センター事務局長は九〇年代をそう、位置付ける。 九三年に一万八千六百人いた日本語学習者は、九八年に一万七千六百人に減った。非日系人の層が堅調を維持した一方で、日系の学習者は一万七千人から一万三千人に四千人ほど減少。同 ...
続きを読む »教科書 時代を映して変遷(12)=日伯文化普及会が産声=早い時期に認識=日本語教育は外国語教育
4月30日(金) 日本語を論理的にみる――。 一九七二年には、学習者の世代別構成について、二世(三〇・七%)と三世(六三・五%)が逆転。四世(三・四%)、非日系人(一・五%)が新たな要素として加わってきた。 会話が理解出来るという前提でつくられたコロニア版『日本語』は現場にそぐわなくなり、国語教育から日本語教育への転換が求 ...
続きを読む »教科書 時代を映して変遷(11)=日本語教育界最大の出来事=普及センターの発足
4月29日(木) 日本語教育機関の一本化――。 ブラジル日本文化協会(上原幸啓会長)は国際交流基金の依頼を受け、八五年に旧日本語普及センターを設立した。 これに、日伯文化連盟日本語普及部、旧ブラジル日本語学校連合会が合併。八八年に独立して、正式に日本語普及センター(CENTRO DE ESTUDOS DA LINGUA J ...
続きを読む »教科書 時代を映して変遷(10)=初訪日研修員がつくった=『にっぽんご かいわ』=2つのレベルで
4月28日(水) 「日本語の話せない子供が増えて、困っています」 六〇年代末になると、教職員の間で、そんな会話がちょくちょく交わされるようになる。学習者の主流が三世に移行。家庭内で日本語を使わなくなってきたということの表れだった。 当時、幼少年向けの会話指導書はなく、現場は対応に苦慮していた。懸念が高まる中、国立教育会館が ...
続きを読む »