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サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〟実状

サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〟実状(8)=―死に場所が極まり静かに茶を喫す―=援協創立会員=安藤さん詠んで死去

12月24日(金)  サントス厚生ホーム開所三十周年の今年は、援協創立四十五周年の節目の年でもある。安瀬盛次(初代会長)はもちろん、在任十四年の中沢源一郎(元会長)、同じく十八年の竹中正(元会長)もこの世にはいない。関係者にとって、歴史の重みが感じられる年になったようだ。  援協創立を知る唯一の生存者安藤善兵衛(98、宮崎県出身 ...

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サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〟実状(7)=思い切り歌う楽しさ=唱歌部、実力上がる

12月23日(木)  ♪「おどま盆ぎり 盆ぎり 盆から先ゃ おらんど 盆が早よ来うりゃ 早よもどる」――。  スザノ・イッペランジャホームの「第一回マンジョッカ祭り」が〇四年七月二十五日、スザノ市の施設であり、サントス厚生ホームのお年寄りたちが合唱を披露した。平均年齢は、およそ八十歳。元気はつらつな姿は、訪れた人を舞台に釘付けに ...

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サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〟実状(6)=信頼関係築いたシニア=便秘の世話の徹底で

12月22日(水)  「今、憩の園から電話しています。ボランティアの募集が始まったから申し込んでみたら」。  清岡弘子(67、高知県出身)は、友人の薦めがきっかけでシニア・ボランティアへの応募を決意した。  かつて、南国市の職員だった。昭和三十年代に南米移住者の送り出し事業に携わり、宣伝パンフレットを配布するなどした。移民の辛苦 ...

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サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〟実状(5)=オープンな雰囲気=施設内恋愛はごく普通

12月21日(火)  元住友本社常務理事で歌人の川田順(一八八二─一九六六)。六十六歳のとき、弟子の京大教授夫人で三人の子供の母親だった鈴鹿俊子と恋に落ち、死を決して家を出る。戦後間もない一九四九年十一月三十日のことだ。  〈墓場近き老いらくの 恋は恐るる何もなし〉  世間は、自由恋愛を象徴するスキャンダルとして注目。「老いらく ...

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サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〟実状(4)=83歳男性の「恋は盲目」=夜間、塀乗り越えサンパウロ市に走る

12月18日(土)  一九七〇年代半ばのある日の朝。サントス厚生ホームは大騒ぎになった。  「芦沢敬三さん(仮名、当時83歳)がいない」──。言葉も地理も分からない老人が、忽然と姿を消してしまったのだ。  周辺地域を捜索。さらに心当たりにも電話をかけたが、埒はあかなかった。最後の切り札として、事は警察当局に持ち込まれようとしてい ...

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サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〟実状(3)=施設内に日語教室開設 慕われた木村捨三先生

12月17日(金)  会員獲得のために、日本語教室を──。  サントス厚生ホームの開所当時、入所者の多くは経費を支払えない困窮者だった。労働可能な人によっては、外部に就職先を見つけ運営を手助けしていた。木村捨三(故人)は、施設に子供を集めて日本語を教えた。  授業料は無料。ただし父兄会を組織し、保護者には援協に入会してもらった。 ...

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サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〟実状(2)=功労者,重枝正美さん 初期の経営に尽力

12月16日(木)  「え、今日も刺身ですか?」。  運営が軌道に乗るまで、サントス厚生ホームの台所事情はかなり厳しく関係者は頭を痛めた。開所(一九七四年)間もなく、そんな贅沢な抗議が出されたことがあった。  施設から三十メートル足らずの距離に日伯食堂が営業中で、主人の故重枝正美がちょくちょく鮮魚を譲っていたからだ。  「赤字経 ...

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サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〝実状(1)=毎日が戦場のよう 単調でないお年寄りの暮し

12月15日(水)  老人ホームの生活は、いったいどんなものなのか?高齢化社会を迎えた日系コロニアでは、そんな疑問に関心を持つ人が少なくないだろう。バザーやフェスタに訪れることはあっても、内部の実情まで細かく知ることは出来ない。そのため、困窮したお年寄りが惨めで単調な暮らしを送っていると誤解されがちだ。高齢者介護の現場では数々の ...

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