2005年8月18日(木) 六日午後、コチア青年親善交流団一行は、サンパウロ州との境に位置しているパラナ州カルロポリスの入口で、コチア青年カ地区代表の中林良(島根県)、筒井政廣(高知県)、佐藤清太(福島県)らの出迎えを受けた。 いよいよ、北パラナ地区における親善交流の始まりだ。まず案内されたのはFazzenda Teolan ...
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本紙記者がのぞいた=パラグアイ日系社会=連載(1)=来年移住70年=親子2代の夢=前原城
2005年8月17日(水) パラグアイ移住の嚆矢となるラ・コルメナ入植が一九三六年に始まり、来年古希を迎える同地日系社会。ピラポ、ラパス(旧フラム)という戦後移住地もそれぞれ、四十五、五十周年と節目の年を迎えたパラグアイ日系社会を訪ねた。 一国一城の主――。戦国時代以来、日本男児の夢といえる。〃文字通り〃その夢を ...
続きを読む »コチア青年=来月=50周年祭典=北パの仲間と親善交流=連載(1)=ほぼ全員還暦、古希に=記念の「森」を造成中
2005年8月17日(水) コチア青年移住五十周年記念祭典を九月中旬に控え、記念行事に一人でも多くの仲間の参加を呼びかけるため、コチア青年連絡協議会は北パラナのカルロポリスやロンドリーナ地域を訪問地に選び、今月初旬に親善交流の旅を実行した。 六日早朝、貸切りバスでサンパウロ市リベルダーデ広場を出発し、九日早朝に戻る、という強 ...
続きを読む »♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者協会=50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(最終回)=技術革新+投資で生き残り
2005年8月17日(水) 伝統的な日系洗染業界から始まって南米一になった企業もある。 「技術革新と投資こそが生き残りの秘訣」と語るのは、パラナ州都クリチーバ郊外のコロンボ市にある業務用洗濯機メーカー「鈴木製機商工」(以下、スズキ)の鈴木敬一社長(66、二世)だ。国内市場の六割を抑え、なおかつパラグアイ、ボリビア、ペルー、チ ...
続きを読む »♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(10)=見出し=ブラジル一の技術と料金
2005年8月16日(火) ブラジル一高い料金ながら、国中から仕事が舞い込む洗濯屋がある。一般店なら背広上下で二十数レアル、フランチャイズなら二十を切るご時世に、SAN・TAIOでは八五レアルだ。 「誰にもマネのできない技術がありますから」と社長の追田空海雄(60、北海道)は胸を張る。 「同業者には絶対に見せない」というシ ...
続きを読む »♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(9)=外資の大波で受難の時代
2005年8月13日(土) 十八歳だった池崎博文青年が「洗染業者向けの薬品や洗剤の卸売りは儲かる」と気付き、リベルダーデ区にあった卸問屋に就職したのは一九五一年だった。 若さにまかせて、自分なりに会社を良くしようと努力し、先輩社員から嫌われながらも歯を食いしばって耐えた。毎週あちこちの洗染業親睦会を廻って営業し、薬品だけでな ...
続きを読む »♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(8)=見出し=ジャポン・ノーボの世話も
2005年8月12日(金) 故郷に錦を飾る――。 これに勝る移民の憧れはそう幾つもない。先述の山本義美は洗濯機械販売などで儲け、一九五六年ごろ一時帰国し、北海道紋別郡西興部(にしおこっぺ)に凱旋した。 サ協会の創立者の一人でもあった義美は当時、高級車の代名詞「シボレー52年型」に乗っていた。 「ブラジルでは乞食がネクタイ ...
続きを読む »♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(7)=流行歌で取り上げられる
2005年8月11日(木) ♪テン・ローパ・パ・ラバ?――。「あの頃、洗濯屋の歌まであったんですよ」。古参の伊藤春野は懐かしそうに歌ってみせる。 調べてみると「Xotis do Tintureiro」(作曲Osmir/ Odair Perdigao)で一九五八年に録音された。歌ったのはDupla Ouro e Prataとい ...
続きを読む »♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(6)=少年時代のルーラも勤務
2005年8月10日(水) 一九五八年、移民五十年祭で企画されたコロニア実体調査は、洗濯屋抜きには語れないものだった。 「日本移民史上空前絶後の大調査」(文協四十年史)といわれる規模のもので、延べ六千人が六年の歳月をかけて全伯の日系人口の把握を行った。中でも最難関と言われていたサンパウロ市内を引き受けたのが、洗染業界だった。 ...
続きを読む »テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(5)=選挙を左右した組織力?
2005年8月9日(火) 一九四七年は大きな節目だった。 物価調整委員会(COAP)が洗濯代を、従来の一着二十二クルゼイロから十六に下げた状態で凍結した公定料金を決定したからだ。すでに五百軒あると言われた日系洗濯屋にとって死活問題だった。 この危機を打開するために担ぎ上げられたのが、田村幸重(キリスト民主党)だった。四八年 ...
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