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2006年

JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から =連載(39)=加藤みえ=ボツカツ日本文化協会=ボツカツはははの一週間

2006年4月27日(木)  これを読んで下さる皆様にお願いがございます。大きく息を吸ってー吐いて、吸ってー吐いて、大きく深呼吸して下さい。そして最近あった楽しい出来事を思い浮かべて下さい。又は大好きな食べ物のことを考えて下さい。そして大きな元気いっぱいの明るい声で次の「 」の中の言葉を声に出して読んで下さい。  「おはようござ ...

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60年目の肖像=日系/ニッポン人―ブラジル発―連載(2)=戦前移民=「10年ひともうけ」国が奨励=移民の苦境、事業に結実

2006年4月26日(水)  本稿は、京都新聞が昨年一年間、企画連載した記事の一部である。「六十年」は戦後六十年のこと。日本人や社会現象をテーマに広範に取材し、最後にブラジルの日系/ニッポン人が取り上げられた。連載の終章であった。同紙社会報道部の岡本晃明記者が来伯、取材した。岡本記者の本紙読者へのメッセージは昨報のとおりだ。京都 ...

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60年目の肖像=日系/ニッポン人―ブラジル発―連載(1)=日本人街=漢字の看板や店先に演歌のCD

2006年4月25日(火)  平安時代そのままの名前の通りを歩き、新緑の東山三十六峰を眺める。京都と滋賀の地方紙に身を置き、日本文化や歴史の遺産に身近に接していながら、歴史や文化を知らずにいたこと、日本とは何なのか、ブラジルへの旅ほど突きつけられたことはありませんでした。昨年九月の約一カ月をブラジルで過ごし、京都と滋賀ゆかりのみ ...

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JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から =連載(38)=中村茂生=バストス日系文化体育協会=「祖国」について思うこと

2006年4月20日(木)  戦後移民のある方と、近頃の日本外交についてお互い頭に血を上らせ気味にしゃべっていて、ふと「この人はなんだってこんなに熱くなるのだろう」と感じたことがあった。  二十代のはじめに日本を出て、以来日本へ行ったのは一度か二度きり、いつもきれいに刈り込んでいるが伸ばせばそれは見事な白髪だろう。古希だから、も ...

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JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から =連載(37)=原田陽子=ピラール・ド・スール文化体育協会=「悔しい」気持ち

2006年4月13日(木)  「先生、ストップウォッチ、貸して下さい」。放課後の職員室に次々に子供たちがやってくる。二週間後の日曜日は、陸上大会。その陸上大会に向けて、自主的に練習を始めたのだ。上級生が下級生に教えている。放課後のグランドでスポーツをする子供たちの姿が見られ、日本の学校を思い出させた。  日本では、野球、陸上、テ ...

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アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(11 終)=雨に勝てず帰路につく=木の枝も降るジャングル

2006年4月6日(木)  この当分止みそうもない空模様については、私も同感である。その上、この調子で降られては、調査もヘチマもないので、これは、またの機会に譲るとして、出直すのが得策かも、と皆と計る。皆も同感で、帰ることに一致する。  さっそく埋めてあった食糧を掘り出し、十分に包装して、ほかの荷物とまとめて背負い、雨の中を帰路 ...

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JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から =連載(36)=後田聡子=レシフェ日本文化協会 =いつかペルナンブカーナに

2006年4月6日(木) 「レシーフェへようこそ。 レシーフェ日本語学校 2005年7月7日」  白いカードが、バラの花束に埋もれていた。ようやくたどり着いたレシーフェの空港で、六人もの出迎えに驚いた。そして、これまでの人生でもらったことがあったかしら?と思いながら、真紅のバラを受け取った。  それ以来、何か困ったことはないか、 ...

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アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(10)=闇の中、光る目、鰐を撃つ=1時間後、逃走計り絶命

2006年4月5日(水)  しばらく行くと、かなり高い梢に鷹が一羽止まっている。「しめしめ、少々肉が固くても生(なま)なら食えるだろう」と、狙いを定めてズドンと一発。鷹はパッと飛び上がって、それから悠々と飛び去って行ってしまった。ほとんど外したことがない一発も腹がへっていると当たらない。皮肉なものだ。  明鏡止水・平常心そのもの ...

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アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(9)=毒の中喬木、水に漬かる=残らず死んだ周りの魚

2006年4月4日(火)  第四日  腹がへっていたせいか、早く目が覚めた。焚き火は大かた灰になっていて、わずかに燻っている。口をすすぎ、顔を洗ってから、昨夜オンサがいたところを見に行く。  あちこちに例の足跡があり、ところどころ引っ掻いた跡もある。足跡は直径二十センチくらいで、川岸にあったものと同じである。  フィルモが「これ ...

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移住花嫁の母=小南ミヨ子の生涯=連載(下)=どうなる会館の将来=創立者の死は問いかける

2006年4月4日(火)  二十年ほど前から後続が途絶えている――といわれる花嫁派遣だが、実は一九九〇年ごろまで関連事業は実施されていた。バブルの絶頂期だ。  「ききょう会報」によれば、九〇年九月一日から翌十月十四日まで行われた「移住希望者のための講習」にも二人が参加した。ただし、ききょう会の大島純子会長は「実際に渡航したかどう ...

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