2006年6月6日(火) 「十年間でやってきたことを反省し、これからさらに前進していきたい」。 四月二十八日午前。クリニカス病院隣りのレボウサス会議場で、「NADI」の創立十周年記念式典が開かれた。ジャコブ教授は関係者の労をねぎらった上で、決意を新たにした。 千馬さんは「創立記念日の九六年四月二十九日を忘れないでいようと、 ...
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緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(8)=患者がケア求めて来たら=最初に家族会議開く
2006年6月3日(土) 二〇〇〇年ごろのこと。四十~五十代の女性が「NADI」の門を叩いた。 子宮がんを患い、出血もひどかった。この女性と家族は頑なに輸血を拒んだ。「エホバの証人」を信仰。宗教上、輸血は許されないものだったからだ。 「手術をしたくても出来なかった」と、千馬さんは、その時に受けたショックの大きさを振り返る。 ...
続きを読む »緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(7)=今、ケア希望者あと絶たず=スタッフ志望医も増加
2006年6月2日(金) クリニカス病院の一室。壁一面に、サンパウロ市の地図が貼り付けられ、無数のピンが刺してある。「NADI」が在宅ケアをしている、患者宅の住所だ。 「毎日きつい、スケジュールになっています」と千馬さん。希望者は後を絶たず、患者数は約百四十人で、過去に百六十人を数えたこともある。 ケアの質を維持するために ...
続きを読む »緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(6)=終末期医療、当初〃異端〃だった=軌道に乗るまで多くの試練
2006年5月31日(水) 「チームに入ってきた研修医たちに、ボイコットされた」──。 九六年四月末に発足した「NADI」。その滑り出しは、苦難の連続だった。終末期医療が院内で、きちんと〃認知〃されていなかったからだ。 あらゆる手段を尽くして患者の命を救うのが、医者の使命だと教え込まれる大学教育が背景にある。 「死期が迫 ...
続きを読む »緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(5)=当初、末期がんが多かった=ブラジル内のプログラム現在40
2006年5月30日(火) 「治療に反応しない疾患をもつ、患者に対する積極的で全人的なケアである」と、世界保健機関(WHO)は緩和ケアを定義している。 病気の治療を目的にするのではなく、生活の質(QOL)の向上を目指すもの。(1)身体的(2)心理的(3)社会的(4)宗教的に、患者と家族を支えていく。 医師のほかに看護婦、社 ...
続きを読む »緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(4)=駐在員の子、10代波乱=進路迷った末医者の道決める
2006年5月26日(金) 「フェイラの匂いはきついし、ブラジルの人には失礼ですが、いったいどんなところに来てしまったのだろうと驚いた」。 千馬寿夫さんは七五年三月、日系商社に勤務していた父親に連れられて、初めて来伯した。小学校五年を終えた直後のこと。カンポ・リンポの日本人学校に編入した。初印象は決して、よいものではなかった ...
続きを読む »緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(3)=患者との絆どこまで深める?=思い入れ強過ぎても不可
2006年5月25日(木) 〈高齢者は病気を苦に、自殺を図る。がんなど死の危険が高い疾患が分かった時、家族や社会の中でお年寄りを孤立させてはならない〉 二月××日水曜日午後。診察が始まる約一時間前に、老人内科医を始め、看護婦、薬剤師、理学療法士、心理士、ソシアル・ワーカーなど外来チーム約十人が一室に集合。約二十分間のビデオを ...
続きを読む »緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(2)=患者は「死」に対し神経質に=チームに求められる冷静、忍耐
2006年5月24日(水) 二月××日午後、在宅チームの一つに同行した。行き先はサンパウロ市北部リモン区の非日系人男性(47)宅。医師、看護婦、心理士、理学療法士、ソシアル・ワーカーなど七人がコンビに乗り込んだ。 老人内科医の比嘉智子ケイラさん(二世、31)が車内で、自分に言い聞かせるように言った。「この仕事は、かなりの忍耐 ...
続きを読む »緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(1)=回復の見込みない患者対象=生活の質を高める
2006年5月23日(火) 最期の時──。日進月歩の勢いで、医療技術が進歩。それと歩調を合わせるように、人間は長生きをするようになった。かつてはすぐに亡くなっていた病気でも、延命治療によって、ある程度、寿命を延ばすことが可能だといえるかもしれない。回復の見込みのない患者を対象に、「生活の質」を高めようと始められたのが緩和ケア ...
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