プレ百周年特別企画 2007年10月25日付け 遠藤さんの話。 「三日間のモイーニョ・ヴェーリョ通いの帰途、いつも親父は疲れているみたいだった。ふと気がつくと、隣にかけている親父が私の方へ寄りかかって来る。見ると居眠りしていた。三日目が終わった翌日、親父は死んだ。 阿部さんは広報の仕事をしていた。当時、コチアは広報のためラジ ...
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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第21回》=畑で作る組合員との関係=本心ではバタタよりカフェ
プレ百周年特別企画 2007年10月25日付け 下元を成功させた要因には、もう一つ、よく言われるような「運」があった。無論、その運の中には、死に物狂いで働き引き寄せた部分もあったであろう。 しかし、その運も去るときが近づいていた。働きすぎた結果、健康を害したのである。 一九五七年、日本から着いたコチア青年移民でカストロ在住 ...
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プレ百周年特別企画 2007年10月24日付け 元職員・遠藤健吉さんの話の続き。 「兄の案内で、私はコチアの本部へ行き、下元と会った。挨拶したが、専務理事というようなイメージではなく(イモ親父だな)と思った。それからしばらくして、コチアの農村青年男女講習会があると知ったので参加してみた。そこで親父の〃組合節〃つまりコペラチズ ...
続きを読む »ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第19回》=認識運動の地方会場で護衛=「生きて出られないかも」
プレ百周年特別企画 2007年10月23日付け 栗原章行氏は一九四四年、二十代半ばの頃にコチアに就職した。現在八十代半ばになる。 「私が組合に入ったのは養鶏が盛んになり始めた頃で、組合本部の横の三角地帯に飼料の配合所があり、そこで働いた。結婚のときは下元さんが仲人をしてくれた。 仕事以外の場では、いつもニコニコしていた。土 ...
続きを読む »ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第18回》=家庭では穏やかな一面も=食事も寝る時も猫と一緒
プレ百周年特別企画 2007年10月19日付け 志村啓夫氏は既に登場した。一九四一年当時、マリリアに居って、地元の組合から事務見習いということで、サンパウロへ派遣された。この人は産青連のメンバーである。 「下元の親父の所へ挨拶に行くと、『おお、そうか。それなら俺の家に下宿しろ』と。一年くらい下元の家に居った。その後、マリリア ...
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プレ百周年特別企画 2007年10月19日付け 「怒鳴られながらも、彼を親父さんと慕い、身命を賭しても、という気持ちを従業員達に抱かせた」 下元の、こういう魅力が一九三〇年代末からの、産青連運動を成功させ、組合内外に下元を慕う若者を増やした。 その中には、終戦後、テロ旋風が吹き、下元が狙われているという噂を聞くと、その自宅 ...
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プレ百周年特別企画 2007年10月18日付け ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組 新社会の建設=創立者の光と影=下元健吉没後50周年 連載《第16回》=コチア拡大の源泉は敬愛派=若者たちは「親父」と慕う 外山 脩(フリー・ジャーナリスト) アンチ下元派が居ようが、邦人社会つまりコロニアの指導者たちに敬遠されよ ...
続きを読む »ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第15回》=パ紙経営にも一時は着手=総会「辞める!」と席立つ
プレ百周年特別企画 2007年10月17日付け ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組 新社会の建設=創立者の光と影=下元健吉没後50周年 連載《第15回》=パ紙経営にも一時は着手=総会「辞める!」と席立つ 外山 脩(フリー・ジャーナリスト) 下元は、パウリスタ新聞の経営にも関わったが、失敗している。 それにふれる ...
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話変わって、下元は戦前の邦人社会、戦後のコロニア指導者の間では敬遠されていたという件であるが。 ──これについては、前項の中沢源一郎の言葉の中にも出てくるが、コチア関係者も、その点は認めている。 戦前、産青連の運動に参加、そこで下元を知り、敬愛者の一人となり、戦後、コチアの役員を何度か務めた北パラナの松原宗孝氏は、「親父は ...
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プレ百周年特別企画 2007年10月12日付け ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組 新社会の建設=創立者の光と影=下元健吉没後50周年 連載《第13回》=モジ進出を巡る〃伝説〃=地域拡大戦略の正否問う 外山 脩(フリー・ジャーナリスト) 下元健吉には、他組合の縄張りを荒らしたという批判もある。前出の久保勢郎なども ...
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