ニッケイ新聞 2007年12月29日付け いま、日系社会は老齢化して、一線を退いた一世と、出稼ぎの話だけが目立って、政界、実業界、その他の分野でも、他の国の民族ほど目立った存在がなく、何か中心を失った寂寞さを感じる人は多いと思う。なぜ日系社会の誇りで有った大組織が、短期間に一斉に崩壊してしまったのか。いま、日系社会の中心となる ...
続きを読む »「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」
「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」=連載(9)=井上会長の打診を受けて=ミナス州、即刻無条件で決断=にんにく精選所。品質最高のにんにくをセラードは生産する=「農業の神様が来てくれた」
ニッケイ新聞 2007年12月28日付け 小笠原たかしが、一九七一年に単身セラードへ出発してから後の五年間は、小笠原一族はもとより、コチア産組、ミナス州政府、連邦政府にとって、まさに二億ヘクタールを舞台とする壮大な大河ドラマが演じられた。 過去のことではあるが、百年の日系移住歴の中で、おそらくブラジルの日系社会が二度と経験す ...
続きを読む »「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」=連載(8)=技師の調査報告=一世、二世で分かれる=開発危ぶんだ産組理事たち=コチアの英断
ニッケイ新聞 2007年12月25日付け セラードの潜在性を見抜き、息子を開発の先発隊として、一九七二年に、ただ一人パラナから送り出した小笠原一二三さんは、息子が成果を見せ始めると同時に、コチア産組の尻を叩き始めた。近い将来に、セラードは一大穀倉地帯に変貌する。この地に十万ヘクタールの土地をコチアが確保して、若者が思い切り世界 ...
続きを読む »「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」=(7)=産組が開拓に動く前に=長男を〃先遣〃した小笠原さん=日系人がすべてを好転させた
ニッケイ新聞 2007年12月22日付け 現在では、ブラジル人も、商社も、セラードのコーヒーは、高級品という認識を持っている。いまでこそ、セラードはコーヒーの花が咲き、実が充実する期間中、雨が降り、収穫期は乾期に入るから、高級品ができると知っているが、このセラード・コーヒーのアイデアと基礎を作ったのは、当時北パラナのコチア産組 ...
続きを読む »「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」(6)=日本人は気が狂っている?=入植時、地元住民の見方=「開拓は失敗必至」
ニッケイ新聞 2007年12月21日付け 「日本人の億万長者が来た」 いま、サンパウロ市から、ミナス州サン・ゴタルドの町までは七百三十キロのアスファルト道路を、車なら八時間くらいで行ける。しかし、三十年前は泥道のため、早朝から夕方までかかった。一九七四年ごろ、パラナのセラード開発先発隊は、パラナから生産資材と農機具を積んだトラ ...
続きを読む »コチアは生きていた=30年ぶりのセラード「赤木報告」(5)=パルナイバ上流農畜産組合の建物=〃昔の泥臭さ〃が消えた=名前を変えたコチア組合
ニッケイ新聞 2007年12月20日付け サン・ゴタルドの町外れに、パルナイバ上流農畜産組合が、地域農業隆盛の象徴のように、設備を拡張している。この組合は、コチア産組中央会の崩壊により、サン・ゴタルド支部が、名称を変えて独立したもので、組合精神も内容もコチアそのものである。ただ昔のコチアと異なるのは、組合本部の美しさである。植 ...
続きを読む »「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」=(4)=30数家族で「生産株式会社」組織=資材、機械一括購入、労働力も〃共有〃=農家が作る生産株式会社
ニッケイ新聞 2007年12月18日付け サン・ゴタルドで見たもう一つのユニークな生産形態は、農家が生産のために組織した生産株式会社である。生産者組合は普通であるが、生産株式会社は珍しい。これも生産性を緻密に追求して到達したシステムである。農家が各自、自分の土地を持って、会社に出資した形で参加し、会社は株主が持ち寄った土地の総 ...
続きを読む »コチアは生きていた=30年ぶりのセラード「赤木報告」(3)=人工衛星コントロール方式=究極まで生産性を追求=人工衛星操作でトラクターを運転
ニッケイ新聞 2007年12月15日付け ミナス州サン・ゴタルドでは、トウモロコシや大豆など、植え付けた作物の一列の長さが約二キロに達する。その列が一ミリの狂いもないほど一直線に植えてある。これはトラクターを人工衛星操縦によって行っている結果であり、一列が何キロになろうと、最終点までの誤差は、最大二ミリ以下に制御するコントロー ...
続きを読む »コチアは生きていた=30年ぶりのセラード「赤木報告」(2)=100年前の農地再生され、今は穀倉地帯、なお余裕
ニッケイ新聞 2007年12月14日付け コチア産組は蘇った いま、全国に新しい穀倉地帯を出現させているブラジルのセラード開発は、常にブラジル全体の農業の将来を考えていたコチアの小笠原一二三(ひふみ)という人物の着想によって始まった。戦前から農業生産地帯として栄えてきた北パラナは、年々進む大農化とともに、耕地面積が狭く感じら ...
続きを読む »「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」(1)=小笠原一二三さんの先見の明=驚嘆させられる変貌
ニッケイ新聞 2007年12月13日付け 赤木数成さん(元パウリスタ新聞記者)が、このほど、三十年ぶりにセラード地帯のサン・ゴタルドを見てきた。まったく別の土地を見ているようだったという。それほど変貌ぶりは想像を越えていた。日系農業者たちの充実は「ブラジルにおいて日系人の農業従事は終わった」とする一部の議論をかき消している。コ ...
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