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2007年

杉村濬の史実発掘――足跡追ったFDP=連載(中)=カナダでの日本人冷遇に悲観=ブラジルへの傾斜強める

ニッケイ新聞 2007年11月17日付け  杉村を南米移民促進に駆り立てたものは何であったか――。「岩手の先人とカナダ」(菊地孝育著)には第三話でバンクーバー初代領事を務めた杉村についてページを割き、さきの問いを解くための「鍵の一端を在バンクーバー帝国領事館初代領事の頃に見ることができる」としている。  一八八九年五月、杉村はカ ...

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杉村濬の史実発掘――足跡追ったFDP=連載(上)=日本移民導入に尽力=笠戸丸を見ずに他界

ニッケイ新聞 2007年11月15日付け  移民賛成論を唱えて、ブラジル日本移民の端緒を開いた人、杉村濬(すぎむらふかし、一八四八―一九〇六)。駐ブラジル三代目日本公使として滞伯し、移民導入に尽力した。一回目(笠戸丸)の移民を待たずして、ブラジルで骨を埋めた人――。来年、日本移民百周年を迎えるにあたり、各地、各団体で歴史資料の整 ...

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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ミナス・ES路を行く=連載《11・終》=ベロ・オリゾンテ=両手一杯に思い出抱え=日系団体の交流に大満足

ニッケイ新聞 2007年11月02日付け  最終日のこの日はパンプーリャ地区の見学を行った。一行の中には少々淋しそうな顔をしている人たちもいた。  同地区はブラジリア建設にも携わったオスカー・ニーマイヤー氏が建てた同広場内にあるサン・フランシスコ礼拝堂を見学。残念ながら入り口は開いていなかったので、外からの見学になった。  同教 ...

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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《10》=ベロ・オリゾンテ=ミナスを好きになって=最後の交流も和やかに

ニッケイ新聞 2007年11月01日付け  オウロ・プレットの見学を終えた一行はホテルでしばし休息の後、夕刻から最後の交流会を行うためにミナス日伯文化協会(馬場直哉会長)会館を訪れた。  同協会の関係者五十人ほどが門の近くで出迎え。会員一人一人と握手を交わし席についた一行は、赤木文雄副会長に促され会館内を見学した。  同協会は現 ...

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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《9》=ミナスの古都巡る=黄金の教会に嘆声

ニッケイ新聞 2007年10月31日付け  セニブラ社を見学し終えた一行は、その日の内にベロ・オリゾンテへと移動。六日目は宿泊したホテルから約百キロ離れた、オウロ・プレットとマリアーナ市のミナス州古都州巡りツアーへと出発した。  ホテルを出発した一行は、約一時間半ほどの車中で、地元ガイドのエンリッキさんからオウロ・プレットについ ...

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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《8》=セニブラ=ブラジル3位の紙パルプ企業=苗床見学に興味深々

ニッケイ新聞 2007年10月27日付け  ウジミナス社を後にした一行は、さらなる見学地のセニブラ社を訪れた。昼前の時間ということもあり、まずは簡単にバスで工場内を見学。案内をしてくれたのは同社で建設・プロジェクト部門を担当する村松基弘さん(39)だ。  一九七四年にナショナルプロジェクトの一つとして、日本側四九パーセント、ブラ ...

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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《最終回》=下元死して志受け継がれる=一生を捧げた多くの職員

プレ百周年特別企画 2007年10月25日付け 遠藤さんの話。  「三日間のモイーニョ・ヴェーリョ通いの帰途、いつも親父は疲れているみたいだった。ふと気がつくと、隣にかけている親父が私の方へ寄りかかって来る。見ると居眠りしていた。三日目が終わった翌日、親父は死んだ。  阿部さんは広報の仕事をしていた。当時、コチアは広報のためラジ ...

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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《7》=ウジミナス社を訪問=最先端の製鉄技術に関心

ニッケイ新聞 2007年10月25日付け  五日目は、ミナス・ジェライス州に大きく貢献している日系企業、ウジミナス社を訪問した。イパチンガ日伯文化協会の金兼文典会長が通訳として働いているために、同社を案内してくれた。  まずは、能力開発センターでパワーポイントとビデオを使用して、ウジミナス社の簡単な説明が行われた。建設前のイパチ ...

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ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第21回》=畑で作る組合員との関係=本心ではバタタよりカフェ

プレ百周年特別企画 2007年10月25日付け  下元を成功させた要因には、もう一つ、よく言われるような「運」があった。無論、その運の中には、死に物狂いで働き引き寄せた部分もあったであろう。  しかし、その運も去るときが近づいていた。働きすぎた結果、健康を害したのである。  一九五七年、日本から着いたコチア青年移民でカストロ在住 ...

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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ミナス・ES路を行く=《連載6》=イパチンガ=日系企業と育った町=百周年で日本庭園も計画

ニッケイ新聞 2007年10月24日付け  イパチンガ日伯文化協会(金兼文典会長)の会館が改装中のため、交流会は山九㈱が所有するクラブ「Clube Dr.Kozo Nakamura」で行われ、同協会、地元の日系企業関係者など約六十人が集まった。  同協会の会員は現在五十一家族(非日系四家族)。最盛期で百二十家族いた経緯を踏まえる ...

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