2007年
-
ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第20回》=一番下の運転手から聞く=誰より詳しい各地の情報
プレ百周年特別企画 2007年10月24日付け 元職員・遠藤健吉さんの話の続き。 「兄の案内で、私はコチアの本部へ行き、下元と会った。挨拶したが、専務理事というようなイメージではなく(イモ親父だな
-
ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第19回》=認識運動の地方会場で護衛=「生きて出られないかも」
プレ百周年特別企画 2007年10月23日付け 栗原章行氏は一九四四年、二十代半ばの頃にコチアに就職した。現在八十代半ばになる。 「私が組合に入ったのは養鶏が盛んになり始めた頃で、組合本部の横の三
-
県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《5》=ミナス=日本との関係残るイパチンガ=文協会館はウジミナスから
ニッケイ新聞 2007年10月20日付け 交流会の余韻を残したまま四日目に突入。エスピリト・サント州ヴィトリアからミナス・ジェライス州のイパチンガまで国道262号を通り、約四百キロの道程をバスで移動
-
ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第18回》=家庭では穏やかな一面も=食事も寝る時も猫と一緒
プレ百周年特別企画 2007年10月19日付け 志村啓夫氏は既に登場した。一九四一年当時、マリリアに居って、地元の組合から事務見習いということで、サンパウロへ派遣された。この人は産青連のメンバーであ
-
県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《4》=ヴィトリア=創立24年目の日系協会=〝子供たち〟と感動の再会
ニッケイ新聞 2007年10月19日付け 午前中に市内観光を終わらせた一行は、地元日系団体のヴィトリア日系協会(松永扶男会長)と交流を行うべく同会館を訪れた。大型バスが近くまで入ることができないため
-
ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第17回》=派手な恰好の職員を一喝=「組合員は土まみれだ」
プレ百周年特別企画 2007年10月19日付け 「怒鳴られながらも、彼を親父さんと慕い、身命を賭しても、という気持ちを従業員達に抱かせた」 下元の、こういう魅力が一九三〇年代末からの、産青連運動を
-
県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《3》=エスピリト・サント=ムケッカ料理発祥の地=伝統の土鍋造りに釘付け
ニッケイ新聞 2007年10月18日付け ヴィラ・ヴェーリャ市のノッサ・セニョーラ・ペーニャ(nossa senhora penha)教会に続いて一行は、一九二〇年にドイツ移民によって建てられたガロ
-
ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第16回》=コチア拡大の源泉は敬愛派=若者たちは「親父」と慕う
プレ百周年特別企画 2007年10月18日付け ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組 新社会の建設=創立者の光と影=下元健吉没後50周年 連載《第16回》=コチア拡大の源泉は敬愛派=若者た
-
県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《2》=最古の町ヴィラ・ヴェーリャへ=テルセイラ・ポンテの絶景
ニッケイ新聞 2007年10月17日付け 二日目、午前九時にホテルを出発した一行は、ヴィトリアに隣接する同州内最古の町ヴィラ・ヴェーリャへと続くテルセイラ・ポンテ(三番目の橋)と呼ばれる橋を渡った。
-
ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第15回》=パ紙経営にも一時は着手=総会「辞める!」と席立つ
プレ百周年特別企画 2007年10月17日付け ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組 新社会の建設=創立者の光と影=下元健吉没後50周年 連載《第15回》=パ紙経営にも一時は着手=総会「辞