ホーム | 連載 | 2008年 | 「父の仇を取りたかった」=溝部の娘が62年振りに現場へ=バストス

「父の仇を取りたかった」=溝部の娘が62年振りに現場へ=バストス

 本日十五日で、六十三回目の終戦記念日を迎えた。戦争がコロニアに引き起こした惨事といえば、同胞が傷つけ合う悲劇となった勝ち負け抗争だろう。これにより一九四六年三月から翌年一月までに二十三人が亡くなったが、その最初の犠牲者となったのが、バストス産業組合の専務理事だった溝部幾太だった。その惨劇から六二年たった先月十八日、溝部の長女・吉雄ミユキさん(93)、次女・樋口愛子さん(88)、三女・勝谷チエコさん(73、二世)は父が凶弾に倒れた場所へ、初めて足を向けた。三人の証言を合わせ、当日の様子を紙上に再現した。この事件は、半世紀以上の歳月を経てもなお鮮明に記憶に残り、人々の心に影を落としている。

溝部の娘が62年振りに現場へ=バストス=勝ち負け最初の犠牲者(下)=「神も仏もないものか」=組合に尽した父の背中

ニッケイ新聞 2008年8月16日付け  六十二年前の三月七日、溝部が凶弾に倒れて息を引き取ったのは、裏庭の小さな桜の木の下だた。溝部の妻コトは、夫が倒れた時のことを「人間にあんだけの血があるって自分は知らんかった」と、訃報を聞いてポンペイアから駆けつけた次女の愛子さん(88)に話したという。  「『あと一センチ、玉が右か左にず ...

続きを読む »

「父の仇を取りたかった」=溝部の娘が62年振りに現場へ=バストス、勝ち負け抗争最初の犠牲者=(上)=今なお記憶に残るあの日

ニッケイ新聞 2008年8月15日付け  本日十五日で、六十三回目の終戦記念日を迎えた。戦争がコロニアに引き起こした惨事といえば、同胞が傷つけ合う悲劇となった勝ち負け抗争だろう。これにより一九四六年三月から翌年一月までに二十三人が亡くなったが、その最初の犠牲者となったのが、バストス産業組合の専務理事だった溝部幾太だった。その惨劇 ...

続きを読む »