ニッケイ新聞 2008年8月16日付け 六十二年前の三月七日、溝部が凶弾に倒れて息を引き取ったのは、裏庭の小さな桜の木の下だた。溝部の妻コトは、夫が倒れた時のことを「人間にあんだけの血があるって自分は知らんかった」と、訃報を聞いてポンペイアから駆けつけた次女の愛子さん(88)に話したという。 「『あと一センチ、玉が右か左にず ...
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「父の仇を取りたかった」=溝部の娘が62年振りに現場へ=バストス、勝ち負け抗争最初の犠牲者=(上)=今なお記憶に残るあの日
ニッケイ新聞 2008年8月15日付け 本日十五日で、六十三回目の終戦記念日を迎えた。戦争がコロニアに引き起こした惨事といえば、同胞が傷つけ合う悲劇となった勝ち負け抗争だろう。これにより一九四六年三月から翌年一月までに二十三人が亡くなったが、その最初の犠牲者となったのが、バストス産業組合の専務理事だった溝部幾太だった。その惨劇 ...
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