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「2度と日本に帰らない」=勝ち組家族が見た祖国

 「もう二度と日本には帰りたくないと思ったね」。根っからの勝ち組だった父親の薫陶を受けて育った池田収一さん(86、福岡県福岡市出身)は戦勝を信じて疑わず、父親の号令のもと、戦後移住が始まる前年一九五二年、オランダ船ルイス号で一家九人帰国した。しかし、二年後、神戸港を発つ時には、冒頭の感慨を覚え、以来一度も祖国の土を踏んでいない。五十六年前に一体、日本で何があったのか。今だから振り返ることが出来る、当時の思いを聞いてみた。(深沢正雪記者)

連載〈4・終〉=桜組挺身隊の集会に参加=父親「まあ、黙っとけ」

ニッケイ新聞 2009年1月10日付け  五四年五月、サントス港に到着した夜、池田さんは一人で泣いた。  「どうして帰ってきたんだろうって。あんなに日本で良くしてもらって」とも思っていた。  帰伯後、最初は弟の仕立屋を手伝ったが、すぐに自分の店を開いた。  当時、福岡県人会に寄った時、「ブラジル時報の記者から『あんたコチア青年か ...

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連載〈3〉=運命の不思議で就職=知事のモーニング作る

ニッケイ新聞 2009年1月9日付け  両親は失意の中、わずか二カ月でブラジルへ帰った。「オヤジは本当にがっかりしていました」。弟家族も一年間で帰った。残ったのは池田さん家族三人だけだった。  最初に飛び込んで求職を申し込んだ仕立屋では、やんわりと断られた。すっかり意気消沈していた池田さんは、呆然自失のまま、博多の中州の繁華街を ...

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連載〈2〉=信じられない光景を目撃=神戸の夜汽車で現実悟る

ニッケイ新聞 2009年1月8日付け  〃戦勝国〃日本に帰る船旅の途中、南アフリカのダーバン港で偶然、日の丸を掲揚している船と遭遇した。海軍だった父親は、すぐに手旗信号を送ってこちらに日本人がいることを教えた。するとその日本船から小舟で数人がやって来て、漬け物などの日本品を持ってきてくれた。  もちろん、話題の中心は戦争の顛末だ ...

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連載〈1〉=戦後移住開始前の52年=「連合艦隊がサントスに」

ニッケイ新聞 2009年1月7日付け  「もう二度と日本には帰りたくないと思ったね」。根っからの勝ち組だった父親の薫陶を受けて育った池田収一さん(86、福岡県福岡市出身)は戦勝を信じて疑わず、父親の号令のもと、戦後移住が始まる前年一九五二年、オランダ船ルイス号で一家九人帰国した。しかし、二年後、神戸港を発つ時には、冒頭の感慨を覚 ...

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