アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《17》=第2移住地の建設へ=戦後最大の壮大な構想
ニッケイ新聞 2009年9月17日付け アマゾン入植三十周年は胡椒景気の真っ直中であり、それにふさわしく盛大に祝われた。日本の代議士たちも戦後、東京にアマゾン会を発足させ、上塚司が会長になって懸命に
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《16》=世界の7%を生産=胡椒景気でアカラから独立
ニッケイ新聞 2009年9月16日付け 「胡椒景気で納税額が膨大な金額になったため、五九年九月からアカラ郡から独立し、パラー州六十番目のトメアスー郡となった。当時の州納税入郡としては、ベレン市、サン
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《15》=ピメンタ黄金時代へ=故郷に札束で錦飾る
ニッケイ新聞 2009年9月15日付け 「いわゆる黒ダイヤですよ」。第二回移民、トメアスーの沢田哲さんは、ひと言で当時の雰囲気をそう言い表す。イバラの道も、移民自身の血のにじむ努力によって報われる運
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《14》=グアマ=改革院が旅券を没収?!=6年で残ったのは4割
ニッケイ新聞 2009年9月12日付け 「とにかく若かった。他県に行くような気持ちだった。失敗しても、やり直せばいいという安易な若さがあった」。大江牧夫さん(76、山形県)は麻布大学獣医学部を卒業し
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《13》=グアマ=シベリアよりはまし=「移民は日本人でない」
ニッケイ新聞 2009年9月11日付け 「みんなグアマは酷かったとかいうけど、シベリアに比べればたいしたことはない」。呵々と笑い飛ばすのは谷口範之さん(84、広島県出身)=サンパウロ市在住=だ。
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《12》=グアマ=〃緑の地獄〃で水責め=「ドミニカよりひどい」
ニッケイ新聞 2009年9月10日付け 「グァマへ、グァマへと心が急ぐグァマはいよいか、住みよいか」――「麦と兵隊」の替え歌が、移民船で景気よく歌われ、期待感を煽っていた。(『アマゾン六十年史』井上
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《11》=マカコ事件であわや追放=サンパウロ市巻き込む強い影響力
ニッケイ新聞 2009年9月9日付け 終戦直後、勝ち負け紛争が起きて日本移民に対する評価が落ち、四六年八月にはあやうく日本人移住禁止が新憲法に盛り込まれる寸前までいった。その結果、移住再開は当面、北
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《10》=若者たちが〃中興の祖〃=毎週値段上がるピメンタ
ニッケイ新聞 2009年9月5日付け 植民者全員の希望を載せたウニベルサル号が、静かに波止場を出航した――。この瞬間、トメアスーにとっての戦争は終わった。 人事を尽くした結果、「普遍」の名を冠した
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《9》=ズブの素人が造船?! =改革に燃える青年たち
ニッケイ新聞 2009年9月4日付け 終戦翌年の四六年三月、二十歳そこそこの若者たちが決起し、産組という身内に改革を求め、返す刀で州政府にも戦時体制を終わらせるべく果敢に交渉を挑み、体当たりで勝ち取
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《8》=「最低の運命の時期」=桟橋で玉音放送聞く
ニッケイ新聞 2009年9月3日付け 〃イバラの道〃は移民の宿命なのか。 第一回アマゾン移民の一人、ベレン近郊アナニンデウア郡在住の大橋敏男さん(92、静岡県)は、自分史『南十字星は誠の光を』の中