アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《7》=ベレンに野菜〃革命〃を=禍福は糾える縄の如し
ニッケイ新聞 2009年9月2日付け 死屍累々にすら見えた植民地の一角に、とんでもない甘美な実をつける新しい芽が吹いていた。 一九三三年、南拓の臼井牧之助が渡伯途上、シンガポール港で南洋種の胡椒苗
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《6》=野球で青年奮い立たせる=万感の涙のみ、福原退陣
ニッケイ新聞 2009年9月1日付け 苦難の時代にも娯楽はあった。いや、なければならなかった。トメアスーではそれが野球だ。 『トメアスー開拓五十年史』によれば、サンパウロ州ノロエステ線のアリアンサ
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《5》=「棺桶何個ありますか」=英霊録という〃宝物〃
ニッケイ新聞 2009年8月29日付け 「中村さん、棺桶何個ありますか?」。日本人看護婦長が突然、南拓事務所に現れ、そう尋ねた。 『トメアスー開拓五十年史』には、南拓社員として第一回移民と共に開拓初
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《4》=上塚司「極楽も遠くない」=警鐘鳴らす三浦鑿
ニッケイ新聞 2009年8月27日付け 入植が始まった一九三〇年当時、日本でアマゾンは「南米の理想郷」として宣伝されていた。 例えば、元代議士の上塚司は人気の高い大衆雑誌『キング』(三一年六月号)に
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《3》=苦難続きで78%退耕=極限まで体力消耗し罹患
ニッケイ新聞 2009年8月26日付け 移民は生まれた環境に近い場所を選んで定住する傾向がある。沖縄系なら海に近いジュキア線、ドイツ系なら南部三州に集住した。祖国での経験が活かせることを本能的に察知
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《2》=黒水病で両親失う=前人未到の原始林に斧
ニッケイ新聞 2009年8月25日付け 一九二九年九月二十二日午前八時半、第一回移民の四十二家族百八十九人がアカラ植民地(現在のトメアスー移住地)の波止場に到着し、前人未踏の原始林に開拓の一斧を振り
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《1》=移民のアマゾン絵巻=大河のごとき流れに
ニッケイ新聞 2009年8月22日付け アマゾンで豊饒なのは生態系だけではない。過酷な大自然を縦糸に、極彩色の絵巻のような逸話の数々が横糸として織り込まれ、とても豊かな移民史の大河を形成している。並