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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベラ・ビスタ編】

 「緑の地獄」といわれたアマゾンに日本人が入植してから、今年で八十年の年月を数える。一九二九年九月、トメアスー移住地に入った四十二家族百八十九人がその嚆矢だ。その圧倒的な自然を前に、欧米移民を始めとする開拓者らが屈するなか、ただ日本人だけがその類稀な勤勉さと地道な努力を両輪に、ピメンタ(胡椒)とジュート(黄麻)という二大産業を生み出した。地獄を天国に変えたその苦闘の歴史を振り返りながら、歩み続ける現地コロニアの将来を探る。

アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベラ・ビスタ編】=第6回(終)=移民悩ませた川に架橋=橋本自治会長「ついに征服」=野地さん「もう死なんといかん」

ニッケイ新聞 2009年6月16日付け  移住地最高齢の橋本房枝さんの長男、橋本博美さん(58)は、「父の選択はいい事だったと思いますよ」としみじみと語る。  「ようやく英語のアルファベットを覚えた」十二歳で入植。「第一陣の人が入って十年経っていたから、そんなに苦労はなかった。先住者の人に色々教えてもらってね」と控えめに話す。 ...

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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベラ・ビスタ編】=5回=地元教育に献身、大谷三枝子さん=最高齢橋本さん「ここはいいとこ」

ニッケイ新聞 2009年6月13日付け  ベラ・ビスタ移住地カルデロン地区には、日本人の名前をつけた公立学校がある。  「エスコーラ・ムニシパル・ドナ・ミエコ」(一九八四年創立、生徒数四百人)だ。  「最初は十五人くらいで始めた。寺子屋みたいなもの」と話すのは、同校の創始者、大谷三枝子さん(58、福島)。  五三年九月、第一陣の ...

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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベラ・ビスタ編】=第4回=嵩む人件費、立ちはだかる川=10年間は借金だらけ=農協活動「得するのはブラジル人だけ」

ニッケイ新聞 2009年6月11日付け  残った移住者らは密林を「拓」き、生きる道を「開」くことに懸命になるしかなかった。文字通りの開拓生活が続き、日本からの携行資金もやがて底をついた。  野地さん同様、第一陣で入植した宍戸宏光さん(72、神奈川)も当初の生活を振り返る。フィリピン生まれ。  「父(進さん)がマニラ麻をやってたか ...

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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベラ・ビスタ編】=第3回=石崎矩之さん「絶望だった」=4俵蒔いて、収穫7俵=〃消えた〃携行資金

ニッケイ新聞 2009年6月10日付け  「絶望でした」――。第二陣として一九五四年六月に入植した石崎矩之さん(74、熊本)は当時の心境を回顧する。  「何を植えてもほとんど芽が出ない。出ても数日で枯れる。そもそも技術的な指導者が誰もいない。四俵の籾を蒔いて、刈り取れるのが七俵―。食えないですよ」  入植間もなく、四十肩のせいか ...

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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベラ・ビスタ編】=第2回=「ここは監獄」逃げ出す移民ら=日本政府は渡航の援助のみ=〃棄民〃政策の最前線

ニッケイ新聞 2009年6月9日付け  昼なお暗い密林のなかに伸びた道にホエザルの叫び声が響く。両側に等間隔で打ち込まれた杭だけが自分の土地の印だった。  渡航契約時、「家もあり、伐採も済んでいる」と聞いた話とあまりに違う。幼子も連れた二十三家族は、原始林を前に立ち尽くした――。  日本からベレンまで一カ月半の船旅後、マナウスま ...

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連載=アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベラ・ビスタ編】 第1回=野地忠雄さん「出るに出られん」=ペルー生まれ、米国強制収容も

ニッケイ新聞 2009年6月6日付け  雨季もほぼ終わりの四月下旬、アマゾナス州マナウスを訪れた。ラ・ニーニャ現象の影響もあり、アマゾン流域は大増水。「百年来の大水」とのニュースが市民の話題をさらっていた。  市対岸への船が発着する港の水位は上がり、渡された板の上を歩いて、ボートに乗り込む。けたたましいエンジン音に耳が慣れてくる ...

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