ニッケイ新聞 2009年7月14日付け 「お互い学生だったし、仕事も知らずに来たからね…。主人にもこぼせなかった辛いことばかり。ついて来た女が悪いですよ」。 高拓生四期生の伊原只郎(しろう、長野県、九八年に八四歳で死去)の妻清子さん(93、愛知県)はそう言葉少なに語る。 サンタ・ルジア、ワイクラッパでジュート栽培に従事した ...
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【パリンチンス/ヴィラ・アマゾニア編】=《6》=戦争が引き裂いた夢=潰えた植民地計画
ニッケイ新聞 2009年7月11日付け ジュート栽培は過熱の一途を辿った。高拓生もマナウスから下流のサンタレンまで約千キロに広がり、現地人を指導し、生産に励んだ。 一九三九年に第二次世界大戦が勃発、ヨーロッパを経由するインドからのジュート輸入が困難となったことも追い風となり、値段は高騰した。 現地支配人だった辻小太郎は旺盛 ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【パリンチンス/ヴィラ・アマゾニア編】=《5》=ジュートの歴史教える尾山学校=3男多門氏「ジュートなければ全滅」
ニッケイ新聞 2009年7月9日付け 日出ずる国からリョウタがやってきた 川岸にジュートが広がった そうして私たちの心に愛が生まれた――。 そんな校歌の歌詞を校内に掲げる学校がパリンチンスにある。 一九七二年に創立した州立高「尾山良太学校(マリア・ヌニェス校長、生徒数七百八十九、Escola Estadual RYOTA ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【パリンチンス/ヴィラ・アマゾニア編】=《4》=高拓生・東海林善之新さん=「アマゾンに来て良かった」=藤川氏の経本を所有
ニッケイ新聞 2009年7月8日付け 「今もなお鬼哭の声が耳につき わが巡礼の旅は終わらじ」ー。 藤川辰雄は、同郷山口県の代議士田中龍夫と知己を得たことから、田中が会長となり一九六二年に発足した「日本海外移住家族会連合会」の初代事務局長に就く。 南米の日本人移住地を数度訪れたおり、夢半ばにして斃れた同胞たちが無縁仏となって ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【パリンチンス/ヴィラ・アマゾニア編】=《3》=研究所跡は上塚学校に=打ち捨てられた墓石
ニッケイ新聞 2009年7月7日付け 上塚司は調査団をヴィラ・アマゾニアに残し、森林伐採や宿舎建設などに当たらせた。 一九三〇年に開校していた国士舘拓植学校(後の日本拓植学校)を卒業した四十七人は、翌三一年四月、横浜港から「さんとす丸」に乗り込む。 植民地指導者―高拓生―の育成を目的とした学校の存在は、日本近代史上に残る類 ...
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ニッケイ新聞 2009年7月4日付け 一九二六年。アマゾナス州政府の招待を受け、マナウス市を公式訪問した田付七太・在ブラジル全権大使は、エフィジェニオ・サーレス州知事から、百万町歩の無償譲渡を申し入れられる。 パラー州政府による同様の要請が競合意識を刺激したことに加え、ゴム産業の衰退を、日本人による農業開発で補おうとしたもの ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【パリンチンス/ヴィラ・アマゾニア編】=《1》=武富会長「日本人の歴史残したい」=八紘会館再建への夢=9月にはジュート記念碑建立も
ニッケイ新聞 2009年7月3日付け 奇祭と呼ばれるアマゾンのカーニバル「ボイ・ブンバ」で世界的に有名となったパリンチンス。六月末には多くの観光客が訪れる町だが、かつてアマゾン経済を潤したジュート(黄麻)栽培の発信地であり、その先鞭をつけたのが日本人だった。一九三〇年、現地を視察した上塚司(1890~1978)は、後にアマゾニ ...
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