ニッケイ新聞 2009年10月31日付け 「トマテなんかもね、青枯れ病を防ぐために自生するジュルベバ(ナス科の植物)を植えて、それに接木するとよくできるんですよ。一日に500キロを収穫したこともありました」と柴山さんは、当時の景気を振り返る。 家族がマタピーから移ってきた。須美枝さんもその一人。 「10家族くらいいましたよ ...
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《4》=柴山さん「日本は希望なかった」=第2回マタピー移民=柴山満義・須美枝兄弟=肥沃な川沿いで野菜作り
ニッケイ新聞 2009年10月30日付け 「1946年に今の北朝鮮から、38度線を越えて一カ月歩き通しで引き揚げて、無一文でしょう。学もないし、日本に基盤がないから、将来に希望がもてなかったですよね」 1954年の第2回マタピー移民、柴山満義さん(76、京都)は、そう移住時の思いを振り返る。 父八百三さん、長兄真蔵さん(当 ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《3》=「移住政策は調査不足」=第1回マタピー移民=尾形慎也さん=人生変えた出会い
ニッケイ新聞 2009年10月29日付け 「文句いう訳じゃないけど、はっきり言って調査不足。送り出した日本、受け入れたブラジル両政府が本当のことを言わなかった」 個人的な意見としながらも、アマパーへの移民政策を、そうはっきり言い切るのは尾形慎也さん(73、福島)。 マカパー第1回移民として、父孫三(90年に86歳で死去)、 ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《2》=第1回マタピー移民=真田美鈴・広美姉妹=父・忠平さん(92)も健在=今も守る3本の矢の教え
ニッケイ新聞 2009年10月28日付け パラー州から分割され、アマパーが連邦直轄区になるのは1943年。その後、50年代にマカパーから西北約200キロのセーラ・ド・ナヴィウでマンガン鉱が発見され、開発が進んだ。 採掘を目的に設立された「ICOMI」社は、マカパーに隣接するサンタナに港を建設。58年には鉱物を輸送する鉄道線を敷 ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《1》=元グアマ移民、三島利幸さん=巡り巡ってマカパーへ=「暑さ除けば、いい所」
ニッケイ新聞 2009年10月27日付け 赤道直下にあるアマパー州(州都マカパー)。アマゾン河口に浮かぶマラジョー島を挟んだベレンの対岸にあり、1988年に連邦直轄領から州に昇格した人口60万の小さな州だ。1950年代にマタピー、カンポグランデ、ファゼンジーニャ、マザゴンの4カ所に日本移民が入植したが、ほとんどが数年内に脱耕し ...
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