ニッケイ新聞 2009年9月10日付け 「グァマへ、グァマへと心が急ぐグァマはいよいか、住みよいか」――「麦と兵隊」の替え歌が、移民船で景気よく歌われ、期待感を煽っていた。(『アマゾン六十年史』井上勝さんの一文) 胡椒景気が始まっていたトメアスーから百キロほど北上したグアマでは、五五年に移住地の建設が開始された。日本から百二 ...
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《11》=マカコ事件であわや追放=サンパウロ市巻き込む強い影響力
ニッケイ新聞 2009年9月9日付け 終戦直後、勝ち負け紛争が起きて日本移民に対する評価が落ち、四六年八月にはあやうく日本人移住禁止が新憲法に盛り込まれる寸前までいった。その結果、移住再開は当面、北伯(辻移民)とマットグロッソ州(松原移民)に限定された。 そのような戦後移住再開に関し、当時の邦字紙の論調は基本的に冷淡だった。 ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《10》=若者たちが〃中興の祖〃=毎週値段上がるピメンタ
ニッケイ新聞 2009年9月5日付け 植民者全員の希望を載せたウニベルサル号が、静かに波止場を出航した――。この瞬間、トメアスーにとっての戦争は終わった。 人事を尽くした結果、「普遍」の名を冠した〃箱船〃が次なる天命を運んできたのだ。 沢田哲さんは、こう説明する。「最初ね、波止場を出て川の曲がり角(一キロぐらい)までいって ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《9》=ズブの素人が造船?! =改革に燃える青年たち
ニッケイ新聞 2009年9月4日付け 終戦翌年の四六年三月、二十歳そこそこの若者たちが決起し、産組という身内に改革を求め、返す刀で州政府にも戦時体制を終わらせるべく果敢に交渉を挑み、体当たりで勝ち取っていった。 植民地の青壮年の有志十七人によって結成されたアカラ農民同志会(会長・関勝四郎、委員長・戸田子郎)だ。 「アカラ産 ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《8》=「最低の運命の時期」=桟橋で玉音放送聞く
ニッケイ新聞 2009年9月3日付け 〃イバラの道〃は移民の宿命なのか。 第一回アマゾン移民の一人、ベレン近郊アナニンデウア郡在住の大橋敏男さん(92、静岡県)は、自分史『南十字星は誠の光を』の中で、ドイツ潜水艦事件の直後のことをこう記す。 「私が書いた手紙の中に、『ブラジルの国旗には秩序と進歩とありますが、今度の出来事は ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《7》=ベレンに野菜〃革命〃を=禍福は糾える縄の如し
ニッケイ新聞 2009年9月2日付け 死屍累々にすら見えた植民地の一角に、とんでもない甘美な実をつける新しい芽が吹いていた。 一九三三年、南拓の臼井牧之助が渡伯途上、シンガポール港で南洋種の胡椒苗二十本を購入してトメアスーに持参した。これが南拓の直営農事試験場に移植され、うち二本だけが発芽した。 三五年に南拓が会社整理断交 ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《6》=野球で青年奮い立たせる=万感の涙のみ、福原退陣
ニッケイ新聞 2009年9月1日付け 苦難の時代にも娯楽はあった。いや、なければならなかった。トメアスーではそれが野球だ。 『トメアスー開拓五十年史』によれば、サンパウロ州ノロエステ線のアリアンサ移住地の草創時代、弓場農場チームの名投手として鳴らした鎌田讃さんが同地に住むようになったことから野球は広まる。 鎌田さんは一九三 ...
続きを読む »日伯論談=第17回=日本発=柴崎敏男=〃異質〃なものを受け入れる学校教育を
2009年8月29日付け 全くの部外者であった企業人が二〇〇五年から企業の社会貢献活動の一つとして在日ブラジル人教育問題に関わり始めました。その活動を進める中でいくつかの問題に直面しました。 今回はそのうちの主に公立学校に於ける外国籍児童に対する年少者日本語教育に関して述べます。現状改善のために関係者のこれからの努力を期待し ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《5》=「棺桶何個ありますか」=英霊録という〃宝物〃
ニッケイ新聞 2009年8月29日付け 「中村さん、棺桶何個ありますか?」。日本人看護婦長が突然、南拓事務所に現れ、そう尋ねた。 『トメアスー開拓五十年史』には、南拓社員として第一回移民と共に開拓初期を過ごした中村浩三さんの、悲しい逸話が記されている。 悪性マラリアが移住地中に蔓延し、病院は連日患者でいっぱいになり、注射器を持 ...
続きを読む »アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《4》=上塚司「極楽も遠くない」=警鐘鳴らす三浦鑿
ニッケイ新聞 2009年8月27日付け 入植が始まった一九三〇年当時、日本でアマゾンは「南米の理想郷」として宣伝されていた。 例えば、元代議士の上塚司は人気の高い大衆雑誌『キング』(三一年六月号)に「大アマゾンの日本新植民地」と題する一文を発表、「台湾九州四国を合わせた大面積の処女地が、日本の植民地として諸君の開発を待つ」とぶ ...
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