ニッケイ新聞 2009年4月16日付け 戦国大名・織田信長はイタリア人のイエズス会宣教師からアフリカ系奴隷を献上され、弥助(ヤスケ)と名付けて武士の身分を与え、家来にしたとの記録がある。フリー百科事典『ウィキペディア』によれば、現在のモザンビーク周辺出身の黒人だったようだ。以下、少々長いが転載する。 「元々は宣教師アレッサン ...
続きを読む »2009年
日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(4)=中国、韓国人奴隷も?=イエズス会と東方貿易
ニッケイ新聞 2009年4月15日付け 十六世紀当時、世界地図をポルトガル中心に見た時、日本とブラジルには奇妙な類似点がある。両国は世界の両端だった。世界の西端がブラジル、東端が日本だった。 堕落したカトリックを救済・再建する目的で一五三四年に設立されたイエズス会は、世界の異端者と戦うための軍隊型組織を持つ布教の〃先兵〃とし ...
続きを読む »第5回農業婦人大会=婦人部リーダーサンパウロ市で交流=≪下≫=各地で広がる婦人活動=おばさんパワーで生き生きと
ニッケイ新聞 2009年4月15日付け 「第五回農業婦人大会」二日目は、各地婦人会などの活動内容を紹介し合った。 グァタパラ文協婦人会はイベントの食事を担当するほか、味噌や餃子を作り各家庭に持ち帰っている。渡辺千代子さんは、「食べるだけが幸せだと思っていたけど、それをパッキングすれば商売になる」と新たな試みとして、五月ごろに ...
続きを読む »日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(3)=ペルーに20人の記録も=実は南米で一般的だった?
ニッケイ新聞 2009年4月14日付け この頃の南米における日本人の記録は、驚くべき事に亜国の青年一人だけではない。ペルーに二十人もが住んでいた記録があるという。 在亜日系団体連合会(FANA)のサイト(http://fananikkei.exblog.jp/6461148/)の『同日本人移民史』要約には、「当時、アルゼンチ ...
続きを読む »第5回農業婦人大会=婦人部リーダーサンパウロ市で交流=《上》=伯・ボから40人集結=活躍女性の体験談も
ニッケイ新聞 2009年4月14日付け 第五回農業婦人大会(ブラジル農業拓殖協同組合中央会主催、飯田正子大会委員長)が三月二十四、二十五日の両日、リベルダーデ区のホテルで行われた。サンパウロ州内を中心にパラナ州、南マット・グロッソ州、ミナス・ジェライス州、サンタカタリーナ州、また隣国ボリビアのコロニア・オキナワからも三人が参加 ...
続きを読む »日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(2)=「小家畜か駄獣のように」=手足に鎖、舟底につながれ
ニッケイ新聞 2009年4月10日付け 一五九六年にアルゼンチンで奴隷売買された日本人青年に関し、大城徹三氏は著書『コルドバ』で、かなり踏みこんだ分析をしている。イビウナ市在住の香山榮一さんから送ってもらい、ようやく読むことができた。 この本には「さてフランシスコ・ハポンという日本青年は、当時日本との貿易が頻繁に行われていた ...
続きを読む »日系人支援策=賛否両論、真っ二つ=帰国制限問題で激論=(下)=〃支援〃の真意はどこに=実はしっかり金勘定も?
ニッケイ新聞 2009年4月10日付け 帰国制限に反対する代表的意見として、ロンドリーナ在住の読者S・SさんはFAX三枚に意見を書いて送ってきた。 「支援を受けて帰った人は、日本に再入国できないと、あたかも犯罪者のような条件がついていることに疑問を抱いていることでしょう」との感想をしたためた。 この二十年間、日本の景気を下 ...
続きを読む »日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(1)=亜国に残る裁判書類=1596年に売られた日本人
ニッケイ新聞 2009年4月9日付け 「南米日本人発祥の地」は一八〇三年にロシア船に乗ってフロリアノーポリス港に到着した若宮丸の四人――とのイメージが強いが、史実をたどると、どうやらそうではないようだ。それよりも遙か以前、今から四百年以上も前に南米の地を踏んだ日本人の記録が残されている。日本とブラジルとの歴史的関わりを考える上 ...
続きを読む »日系人支援策=賛否両論、真っ二つ=帰国制限問題で激論=(上)=「おこも根性丸出し」=条件は当然との声も
ニッケイ新聞 2009年4月9日付け 日本政府が打ち出した日系人支援策で、三十万円を受け取った人が「日系人」のビザで〃時限的〃に戻れない条件を付けた帰国制限問題に関して、賛否両論、読者からの熱い反応が編集部に寄せられた。 まず、「あなたの主張には反対」と電話してきたのは在伯五十七年の長田稔さん(78、東京)だ。「日本政府は日 ...
続きを読む »63年目の訪問=負け組幹部襲撃犯=日高さん元DOPSへ=(下)=「臣聯との関係なかった」=皇太子あいさつに「無我の境地」
ニッケイ新聞 2009年4月8日付け 一九四五年八月十五日、日本全面降伏―。この知らせを聞き、激しく動揺したのが当時推定三十万人といわれるブラジル日系社会だった。 絶望に打ちひしがれたコロニアの大半が、敗戦を信じたくない「心情的勝ち組」だった。 多くが農村に住んでおり、戦中の邦字新聞の刊行停止もあって情報が乏しかったことも ...
続きを読む »