ニッケイ新聞 2009年2月10日付け 藤橋ゆき江さん(24、三世)が日本に帰化したことに対し、家族は「おめでとう」といってくれたが、二歳で来日した三つ年下の妹の反応は少し違った。 「よかったね、とは言ってくれたんだけど、帰化したらと勧めたら『わたしはブラジル人だからいいよ』とそっけない感じだった」。 「わたしが姉妹の中で ...
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分岐点に立つ若者たち=第2部・デカセギ子弟の帰化問題=連載〈3〉=藤橋ゆき江さん=日系人が日本人になる時=「やっとしっくりきた」
ニッケイ新聞 2009年2月7日付け 「やっとしっくりきた感じがする」。戸籍を持ったことをそう話す彼女を、実は、筆者は小学校の頃から知っている。あの頃からは髪型くらいしか変わらず、浅黒くて人懐っこい笑顔もそのままだ。 彼女の内面は、どうやってブラジル人から日本人になっていったのだろう。 ◎ ◎ 藤橋ゆき江さん(2 ...
続きを読む »分岐点に立つ若者たち=第2部=デカセギ子弟の帰化問題=連載〈2〉=帰化したが帰伯を決意=「国籍あっても外人扱い」
ニッケイ新聞 2009年2月6日付け 両親に連れられて幼年期を過ごした日本に、今度は自らの意思で行くことを決意した真境名(まじきな)エドアルド弘行さん(24、二世)。 「日本でフットサルの監督をしている叔父の影響もあって、サッカーやフットサルをやるために日本に行ってみたいという夢はあったけど、それまではデカセギに行くとは思っ ...
続きを読む »分岐点に立つ若者たち=第2部・デカセギ子弟の帰化問題=連載〈1〉=真境名弘行さん=10月に派遣切りで失業=自動車産業へ不況直撃
ニッケイ新聞 2009年2月5日付け 愛知県在住の秋山郁美さん(=本紙通信員、元本紙研修記者)は、昨年八月に連載「分岐点に立つ若者たちー在日子弟の悩みと将来」第一部(全三回)として二十歳前後の二人の生き様を掲載したが、さらに踏み込んだ「日本への帰化」問題を扱う第二部を送ってきた。日本で育った日系子弟が、いずれ真剣に考え、悩む大 ...
続きを読む »松原植民地=56年目の追憶《11・終》=植民地見つめ続けて半世紀=西尾さん「カフェは自分の子のよう」
ニッケイ新聞 2009年2月4日付け もう一人、初期入植者で今も同地に住み続けている人がいる。和歌山県出身の西尾まさえさん(81)だ。二十六歳の時に、夫と一緒に五歳と三歳の子供を連れて松原植民地に移り住んだ。 会館から続くカフェの木に囲まれた道を車で走ること約十分、開けた場所に一軒の家がいきなり姿を現した。庭に収穫したばかり ...
続きを読む »松原植民地=56年目の追憶=連載〈10〉=今も残る日本人会館=植民地の盛衰見つめ
ニッケイ新聞 2009年1月31日付け 松原植民地への入植開始と同時に日本人会、男女青年会もそれぞれ発足した。和歌山市民図書館サイトによると、青年会は四十六人で、十五キロある植民地の端から端まで道路の修理をしたりしていた。また、日曜日には綿摘み、トウモロコシ取り、稲刈りなどの共同作業をして青年会の収入源とした。〃その収入をもと ...
続きを読む »松原植民地=56年目の追憶=連載〈9〉=移民の生活支えた片山氏=功績伝える「カタヤマ街」
ニッケイ新聞 2009年1月30日付け 松原植民地を支えた人の中で、片山利宣氏(一九一六年一月~八〇年三月)を忘れることはできない。 「日本・ブラジル交流人名事典」によると、片山氏は一九二九年八月「まにら丸」で移住。サンパウロ州ムニシピオ・アベニーダ耕地に入耕したが、五二年にドウラードスへ移転。五五年にカフェの品質改良等に尽 ...
続きを読む »松原植民地=56年目の追憶=連載〈8〉=入植者の資金援助に奔走=小野さん「ここはパライゾさ」
ニッケイ新聞 2009年1月29日付け 松原植民地に入植した小野享右さん(75、南麻州日伯文化連合会会長)は大阪生まれ。父親の仁(まさし)氏は鉄道関係で仕事をしていたことから満州へ。その間、小野さんは岡山に住む姉の家で暮していた。九歳のときに、父のいる満州へ移り、四年間過ごし終戦を迎えた。栄養失調寸前の状態で日本に帰国し、八年 ...
続きを読む »松原植民地=56年目の追憶=連載〈7〉=マ州一の発展遂げる=盛大だった入植3周年
ニッケイ新聞 2009年1月28日付け 移民導入権の申請から紆余曲折を辿った松原植民地だったが、目を見張る発展を遂げてきた。 一九五六年七月六日付けパウリスタ新聞では、入植三周年を前にしてすでに百家族が同地へ移り住み、ドウラードス地域はマ州一の活気に溢れている様子を伝えている。 その一方で、三十年ぶりになる大雨に見舞われ、 ...
続きを読む »松原植民地=56年目の追憶=連載〈6〉=陸の孤島ドウラードス=山伐りの費用を援助
ニッケイ新聞 2009年1月24日付け 一九五三年にオランダ船ルイス号で松原植民地に入植した梅田さん。日本では役場勤めだったが、松原の「かばん持ち」をしたことから、近所の人たちにブラジルへ行くことを頼まれた。検討していた時に、松原から「三年か五年計画で行ってはどうか」と助言され決心。妻のタマさん(79)と、もう一人と構成家族を ...
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